映画を観て、想うこと。

『新聞記者』を観て。

新聞記者, 2019
監督:藤井 道人

 

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“Believe and doubt yourself more than anyone else.”
「何よりも自分を信じ、疑え。」

 

東都新聞で記者として奮闘する吉岡エリカ(シム・ウンギョン)はある日、社会部に届いたFAXを上司より託され、取材を始める。「医療系大学の新設」と題された極秘公文書、認可先は通常の大学の認可を管轄する文部科学省ではなく内閣府となっていた。誰が送ってきたのか、誤報を誘う罠か、内部リークか、持ち前の新聞記者としての強い信念のもと、吉岡は真相を追う。

一方、内閣情報調査室(通称「内調」)に勤務するエリート官僚の杉原拓海(松坂桃李)は葛藤の中にいた。彼の仕事は、現政権を維持するための世論コントロール。都合の良い情報を拡散し、不都合な情報を排除する日々、彼は悩んでいた。

吉岡は取材を続ける中である官僚の自殺に辿り着く。その官僚は杉原が慕う元上司であり、内調がマークしていた人物であった。この謎を究明したいという共通の目的が出来た二人は「医療系大学の新設」という内閣府の驚愕の計画に迫っていく。

 

「そんな理由で自分を納得させられるんですか?」

 

あらゆる意味で日本の現代社会に対して警鐘を鳴らす本作。対照的な2人の主人公のどちらに感情移入するかで本作から受ける印象は変わるだろう。新聞記者である吉岡の視点に立てば、使命感を持って信念を貫くことに情熱を燃やすことの意義に奮い立つ感覚を覚え、官僚である杉原の視点に立てば、組織の中で自らの役割を果たす難しさに葛藤しもがき苦しむ様に胸を締めつけられる感覚を覚える。これ以外にも、本作は様々な対比要素を観る者につきつけてくる。「政府とメディアの戦い」、「集団の中の個」、「守るモノのために信念を貫く人と、守るモノのために信念を曲げる人」、「罪悪感の重さと命の重さ」。単純な「正義 対 悪」という構図ではなく、現代を生きるには一筋縄ではいかず、単純な判断では片づけられないことで溢れていることを教えてくれる。

 

「それ、今する質問じゃないでしょ。あなたがされたらどう思うの?」

 

作中、吉岡が他の記者に放つこのセリフが印象に残った。昨今のニュースやワイドショーなどで見る記者会見などの様子を思い浮かべ、このセリフに残念ながら強く共感してしまう。追求することを求められる立場であっても、やはりそこにモラルを欠いた振る舞いや言動はあってはならない。見る者は不快になるだけでなく、追求している問題の本質も揺らいでしまう。これは書くことにおいても言える。今や新聞や週刊誌のみでなく、人はあらゆる媒体から情報を収集できるようになり、またSNS等で誰でも自由に執筆し、発信できるようになった。このような現代において、大切なのは売れる情報(もの)/読まれる情報(もの)ではなく、真実に対して誠実に追及した正しい情報(もの)を発信することではないかと感じる。

 

「この国の民主主義は、形だけでいいんだ。」

 

国境なき記者団が発表している「世界の報道の自由度ランキング」というものがあるらしい。調べてみると、180ヶ国が順位付け/ランク分けされており、日本は何と67位(2019年時点)、先進国(G7)の中で最下位だった。そんな国で生きているという事実を念頭に、新聞やテレビの情報に触れていることを考える。不安を覚えるのは私だけだろうか。

それ以上に、自分自身、物事を知らないことに慣れてしまっていることに不安になった。知らないことを知らないままにしておくのは危険なことであり、知らないことを「そんなこと知らないよ!」と威張るのは恥ずかしいことだ。

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さて、次は何観ようかな。