映画を観て、想うこと。

『アイム・ノット・ゼア』を観て。

アイム・ノット・ゼア I’m Not There, 2007
監督:トッド・ヘインズ(Todd Haynes)
 

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“See, you just want me to say what you want me to say.”
「ほら、お望みの答えは聞けたかな?」
 
ボブ・ディラン。詩人、無法者、映画スター、革命家、放浪者、ロックスター、様々な一面を持つ彼の人格を6人の俳優が演じる。彼は一体何者なのだろうか。本人が公認した初の伝記映画が綴る伝説のロックスターの半生から見えてくるボブ・ディランの正体とは・・・。
 
本作の見所は、人種、性別、年齢の違う6人の役者がボブ・ディランという1人の人間を演じているという点だ。クリスチャン・ベールケイト・ブランシェット、マーカス・カール・フランクリン、リチャード・ギアヒース・レジャーベン・ウィショー、ほとんどが主役級の名優ばかりである。中でも突出していたのは女性でありながらボブ・ディランを演じたケイト・ブランシェットの演技である。本作でゴールデングローブ賞助演女優賞を受賞した彼女は恐らく最初で最後のボブ・ディランを演じた女優になるだろう。
 
“Sing about your own time.”
「”今の時代”を歌いなさい。」
 
実在の人物を題材にした映画を観るとき、期待するのはその人が一体どんな人物なのか/だったのかを知り、理解することだろう。ただ、本作はその期待を満たしてはくれない。本作を見て、正直私はボブ・ディランという人物がつかめなかった。つかめたのは、彼が「型にはまらない」人間だということである。2016年に史上初めて歌手としてノーベル文学賞を受賞したロック界の殿堂。彼が発表からしばらく沈黙していたのは、ノーベル賞という「型」にはめられるのを嫌ったからだろう・・・ノーベル賞という型になら喜んではまりたい人は大勢いるはずだが。
 
ボブ・ディランに限らず、人とはそういうものなのかもしれない。「私はこういう人」、「あの人はああいう人」と型にはめて決めつけるのは、人の本質を理解するのに限界を設けてしまう。そう考えると、本作のタイトルもしっくりくる。他人がどう思おうと、何と言おうと、「私はそこにはいない(I'm not there)」のだ。
 
本作を観終わっても残った曖昧な印象は、さらにボブ・ディランという人間に興味を持たせてくれる。理解しきれない余白があることで人への興味は増すのかもしれない。万人受けする映画ではない。だが、一人の偉人を6人がかりで描いたという異彩な取り組みは、個人の「人格」を表現することに誠実な取り組みなのかもしれない。
 
“I wake and I'm one person, when I go to sleep I know for certain I'm somebody else. I don't know who I am most of the time. It's like you got yesterday, today and tomorrow, all in the same room. There's no telling what can happen.”
「朝起きた時の俺と夜寝るときの俺は別人だ。自分でも正体不明だ。まるで昨日と今日と明日が一つの部屋に同居しているような感覚だ。さて何が起こるか。」
 
「人間は複雑だ。2時間程度の映画で、1人の役者が演じるのは不自然だ。理解できない?理解されてたまるかよ。」と、彼ならそう言うのかもしれない。
 

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さて、次は何観ようかな。