映画を観て、想うこと。

『風立ちぬ』を観て。

風立ちぬ, 2013
監督:宮崎 駿

 

f:id:filmseemorehoffman:20200815152635p:plain

 

「まだ風は吹いているかね?」

 

大正時代の日本、ある一人の少年は飛行機に夢中になっていた。寝ても覚めても飛行機のことが頭から離れない彼は将来飛行機の設計士になることを決意する。やがて、大人になった彼は日本にとって大きな歴史の転換期であった大正~昭和の時代をかけ抜けていく。関東大震災東京帝国大学での勉学の日々、三菱内燃機への就職、愛する人との出会い、結婚、妻の闘病、そして戦争。その中でも常に持ち続けたのは飛行機への情熱だった。彼の名前は堀越二郎(声:庵野秀明)、零式艦上戦闘機(以下、ゼロ戦)の設計者である。

 

「いいかね日本の少年よ。飛行機は戦争の道具でも、商売の手立てでもないのだ。飛行機は美しい夢だ。設計家は夢に形を与えるのだ。」

 

実在の航空技師である堀越二郎をモデルに制作されたことや、宮崎監督が長編アニメ制作からの引退を発表した最後の監督作品という印象や、主人公の声をエヴァンゲリオンの監督である庵野秀明さんが勤めていることで注目を集めた本作は、それまでに制作されたジブリ映画とは一味違うとても不思議な雰囲気を持つ映画だ。飛行機の設計士の視点から描く戦争映画でもあり、大正時代の日本を描いた歴史映画でもあり、二郎と妻・菜穂子の恋模様を描いた恋愛映画でもあり、少年が夢を追いかけるファンタジー映画でもある。この複雑さを湛えた映画がスタジオジブリで制作されたことの意味は大きいと感じる。トトロやラピュタのように解り易くはないかもしれないが、この不思議な魅力をいずれわかる時が来る一人でも多くの子供たちに観てほしい。

 

「空を飛びたいという人類の夢は呪われた夢でもある。飛行機は殺戮と破壊の道具になる宿命を背負っているのだ。」

 

ジブリ映画らしく(不謹慎だが)ワクワクしながら観れてしまう本作は、やっぱり私にとっては戦争映画の印象が強い。戦場の悲惨な描写は無いが、爆撃機、戦闘機、機関銃、爆弾といった単語が度々人々の日常の中に登場する。描かれている人々はどこか不安げで、だけど必死に一日一日を生きている。「美しいモノ(飛行機)を作りたい」という純粋な気持ちで飛行機を作り続ける主人公もその一人だろう。しかし、彼が作った飛行機は、敵・味方を含む多くの人々の命を奪うことに使われてしまう。戦争は若者の熱意までもその渦中に飲み込んでしまっていたのだと気づかされる。現に、堀越二郎という名前を私はこの映画を観るまで聞いたこともなかった。一方、彼が作ったゼロ戦という戦闘機の名前はよく知っていた。特攻に使われた機体という悲しい印象と共に。

 

「君の10年はどうだったかね?力を尽くしたかね?」

「はい、終わりはズタズタでしたが。」

「国を滅ぼしたんだからな。あれだね、君のゼロは。美しいな、いい仕事だ。」

「一機も戻ってきませんでした。」

「行きて還りしもの無し、飛行機は美しくも呪われた夢だ。大空はみな飲み込んでしまう。」

 

本作のラストが頭から離れない。飛行機の残骸の中を歩く堀越二郎、「地獄かと思いました」というセリフの通り人々の叡智と弛まぬ努力を結集して作られた飛行機たちの無残な姿は、当時の若者たちの情熱の成れの果てに見える。戦争をした時代は、こういった若者の熱意や才能さえも犠牲にしてしまう。ズタズタにされた心や命は生きた時代が違えば、きっと違う評価や称賛を得ていたかもしれない。こんな想いを巡らせてしまう一方、決して悲壮感だけしか残らないような結末にはなっておらず、絵やセリフが幻想的な魅力を放っている。「堀越二郎堀辰雄に敬意を込めて」というテロップのあとに美しい主題歌、荒井由実さん(現:松任谷由美さん)の「ひこうき雲」が流れ、不思議な余韻を残しながら締めくくられるラストに、背中を押される感覚を覚えた。

 

「創造的人生の持ち時間は10年だ。芸術家も設計家も同じだ。君の10年を、力を尽くして生きなさい。」

 

才能の期限は10年、この言葉は痛烈に響いた。自分にとっての10年はどこにあるだろう(まだ過ぎ去っていないことを願う)。いずれにせよ、時間は有限である。

風と情熱は似ている。それ自体は目に見えないが、それらが動かす周囲の物の様子で存在を認識できる。自分に吹いている風を感じ取り、一生懸命「生きねば。」(←本作のキャッチコピーより)。

 

f:id:filmseemorehoffman:20200815152700j:plain

 

さて、次は何観ようかな。