映画を観て、想うこと。

『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』を観て。

イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ Exit Through The Gift Shop, 2010
監督バンクシー(Banksy)

 

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“But there was one very unusual thing about Thierry. He never went anywhere without a video camera.”
「ティエリーには奇妙な習慣があった。片時もビデオカメラを手放さないのだ。」

 

ティエリー・グエッタはどこに行くにも何をするにもビデオカメラを持ち歩き、日常を撮影することに取り憑かれた男。ある日彼は、ストリート・アートの世界と出会い、アーティストたちの姿を映像に残すことに興味を持ち彼らの追っかけとなる。最初は煙たがっていたアーティストたちも、すぐに消されてしまう儚い運命にある彼らの作品を形に残す一つの方法として認め、ティエリーの帯同、撮影を認める。彼らの伝手で様々なアーティストと繋がっていくティエリーは、遂にはあの世界的に有名な正体不明のアーティスト、バンクシーと接点を持ち、この出会いがきっかけで自らもアーティストへと転身していくのだったが・・・。

 

“I guess Thierry was in the right place on the right time, really. I mean, the thing is that most of art is built to last like hundreds of years, it’s cast in bronze or it’s oiled on canvas, but street art has a short life span, so it needed a documenting.”
「ティエリーはタイミングが良かったんだ。いわゆる芸術は、ブロンズ像にせよ絵画にせよ、何百年もあとまで残ることが前提だ、でも僕らの作品は儚い運命だから、記録する人間を必要としていたんだ。」

 

ストリート・アーティストと彼らが街中に残す作品を追ったドキュメンタリー映画である本作、監督は何とあのバンクシーである。2019年1月の小池都知事ツイッターの投稿(港区にある防潮扉に描かれたネズミの絵が発見されたツイート)をきっかけに、近年日本でも名前が知られるようになってきたバンクシーの初監督作品であり、彼自身も作品を描く姿やインタビューなどで本作に登場している。当初は主人公であるティエリーがバンクシーを追うドキュメンタリーになるはずだったが、結果的にはバンクシーが監督となりティエリーという奇妙な男を追う作品になってしまう。このちょっと不思議なドキュメンタリー作品は、2011年アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされている。

 

本作は我々を普段見ることができないストリート・アートの世界に連れて行ってくれる。街を歩いていると目に飛び込んでくる「落書き(グラフィティ・アート)」たち、これらが描かれる過程を我々はあまり目にしたことが無い。無許可で公共の場に自らの作品を描くことは違法行為にあたるため、アーティスト(と呼んでいいのかわからないが)たちは人がいない場所・時間帯を見計らって作品を描くことが多い。スプレーやシール、ステンシルという技法を用いて、素早く描いてすぐに退散する彼らの様子を間近で見ていると、不思議とこちらも悪いことをしているような、悪事の片棒を担がされているような、共犯者になったようなハラハラ感を抱きながら鑑賞していることに気付く。「おいおい、こんなの映して大丈夫か!?」と思わず心配になってしまうシーンもあり、アートを題材にしている映画にしては、意外とスリリングな一面もある一作だ。

 

“I came up with the idea that the whole movement of art is all about brainwash.”
「すべてのアートを取り巻くは動きは洗脳(ブレインウォッシュ)だと考えるようになったんだ。」

 

「アートは洗脳だ」というこのセリフをアートを題材にしたドキュメンタリー映画が主張してしまっていることが本作のもう一つの魅力だと思う。ストリート・アートの舞台裏を覗かせてくれるのとは別に、本作は「そもそもアートって何なの?」という問題提起を投げかけている。例えば、ある絵を見て誰かが「これは良い作品だ」と言い出す、すると多くの人が同調し「なるほど、これは良い作品なんだ」と信じてしまう。最初は「そうかな?」と思っていても、大衆がその作品を評価するようになると、人は疑う余地もなく作品を評価するようになり、仕舞いには原価数千円の絵に数億円の価値がつくこともある。また、作者の名前に価値があるため、そのネームバリューが作品の評価に影響するようなこともある。こんな異常事態が芸術の世界では起こっている。アートとは、才能とは、成功とは何なのか?我々は踊らされてやしないか?普段考えないテーマについて考えさせられる。

 

“Maybe it means art is a bit of a joke.”
「アートはジョークなのかもしれない。」

 

そういえば、ちょっと前に永野という芸人さんがこんなネタを叫んでいたのを思い出した:「ゴッホ/ピカソより、普通に、ラッセンが好っき~!」。今思えば、このネタは真理を的確についている。このネタを面白いと感じるということは、我々は深層心理で感じているのだ。芸術的価値が高い(と言われている)ゴッホピカソの絵画より、ラッセンの「わかりやすく美しい作品」の方が我々は「普通に」好きなのだ。深く考えるよりも、「普通に好き」かどうかで評価してみるのも面白いかもしれない。

バンクシーに興味を持って鑑賞した本作は私にとって、バンクシーの作品と同じく、「普通に好き」な映画だ。

 

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さて、次は何観ようかな。