映画を観て、想うこと。

初心にかえって、想うこと。

いつも当ブログにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。映画ブログを始めて2年が経ちました。

 

突然ですが、私はブログを更新するとき、必ず下書きを書きます。映画を観て気づいたこと、思ったこと、記憶に残ったセリフなんかをメモに残し、それらの単語や言葉を文章にし、段落にし、書き足したり削ったりして形を変えながら少しずつ皆さんにご覧いただいている記事にしていきます。

 

もちろん、書いた記事すべてが皆さんの目に触れる機会を得るわけではなく、中には下書きのままパソコンのフォルダの中で眠っている記事もたくさんあります。いつか皆さんに読んでいただけるクオリティの記事になったら陽の目を見る機会もある・・・かもしれません。

 

今回はそんな「お蔵入り記事」たちの中から、記事を一つ復活させてみたいと思います。記事のタイトルは、『映画ブログを始めるにあたって、想うこと。』です。そう、書いたのはちょうど2年前、当ブログの第1号記事になる予定だった記事です。なぜお蔵入りになったのか。読み返してみると、かなり仰々しいことを書いていて、「ブログ更新が続かなかったら恥ずかしいなぁ」と、公開を躊躇ってしまった記事でした。

 

ただ、改めて読み返してみると、「結構良いこと書いてるじゃん!?」と自画自賛してしまいました。何事もそうですが、適切なタイミング、寝かせることで熟成する考えというものがあると思います。節目にふさわしいですし、改めて自分がどういう姿勢で映画を観ているか、皆さんに共有できたらと思います。

 

それではどうぞ。2年前の私です。

 

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映画ブログを始めるにあたって、想うこと。

 

映画を観ると、不思議と力が漲(みなぎ)ってきます。

 

映画は、心地の良い映画館の座席で、自宅のソファの上で、デスク上のパソコンの画面で、掌の中のスマホの画面で、私たちを普通ではたどり着けない場所に連れて行ってくれます。過去、未来、ファンタジーの世界、過酷な戦場、ここでは作品に出てくる登場人物と共に色んなことが体験でき、様々な感情に触れることができます。奮い立つ勇気も、最愛の人を想う愛情も、辛い試練も、深い絶望も、戦慄する恐怖も、勝利の歓喜も味わえます。鑑賞することで得られるこの非日常体験は、明日への活力を与えてくれたり、ストレスを発散させてくれたり、時には人生を変えるきっかけをくれたりもします。

 

私は映画にはそれぞれの作品が伝えたいメッセージがあると思います(例外もあるかと思いますが、大抵の映画にはあります)。なんせ、大人たちが莫大なお金をかけて、たくさんの人を巻き込んで、長い時間をかけて作るのですから、無い方がおかしいと思うのです。このメッセージは様々な形に変形し、2時間前後の作品の中に隠されています。主人公の決め台詞に、登場人物たちの表情に、舞台となる土地の風景に、挿入された音楽に、物語の展開に。映画を観る前のワクワクした気持ちはまるで、これらの隠されたメッセージの宝探しをするかのような感覚に似ている気がします。

 

しかも、この映画が持つメッセージは観る人によって様々な形で捉えられ、伝わるということもまた魅力です。だから、映画の感想は人によって違うし、好きな作品、響かなかった作品も人それぞれ違うのだと思うのです。「なるほど、あなたはそう感じたのね」となるのだと思うのです。友達と映画について語り合い、感想を共有し合うのは、まるで見つけたお宝を見せ合いっこしているような、そんな時間なのかもしれません。

 

このブログでは、そんな映画のメッセージ(お宝)を私がどのように受け取ったかをまとめていきたいと思います。もちろん、製作者の意図や世に出ている考察とは違う形でメッセージを受け取っている場合もあるかと思いますが、私はそれでいいと思っています。製作者の手を離れた作品たちは、いろんな形で人に影響を与えるものだと思います。観た人の捉え方によって作品は評価されるもの、だから私は人の感想や考察を読むのも好きです。もし同じように感じる人がいれば、私の感想もその仲間に加えてもらえたら、これ幸いです。

 

このブログを通して、皆さんに一つでも多く「観てみようかな」、「もう一度観返してみようかな」という作品に出会っていただけたら嬉しいです。

 

さて、何観ようかな。

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さて、次は何観ようかな。