映画を観て、想うこと。

『いま、会いにゆきます』を観て。

いま、会いにゆきます 2004
【監督】土井 裕泰

 

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「でも、隣にいられるだけでもいい。それだけで、ちょっと、幸せ。」

 

秋穂 巧(あいお たくみ)(中村 獅童)は1年前に妻・澪(みお)(竹内 結子)に先立たれ、息子・佑司(武井 証)と二人で暮らしていた。悲しみに暮れていた二人の心には、ある一筋の希望の光があった。それは澪が残した「雨の季節に戻ってくる」という遺言だった。そしてその言葉通り、梅雨の訪れとともに、澪はある雨の日に二人の前に姿を現す。記憶を失っていた彼女は戸惑いながらも、喜ぶ二人とともに再び暮らし始める。三人に突如訪れた、雨の季節が終わるまでの6週間の奇跡、夫婦・親子・家族の愛に満ちた温かさと切なさが胸にしみる一作。

 

「羨ましいな、秘密があって。良いもんだよ、秘密って。」

 

雨の季節の訪れと共に、ふと思い出す一作。本作は自分にとって特別な映画だ。それは、「大好きなのに観られない一作」だからだ。観終わった後に、心に残る余韻の強さで映画を評価するのであれば、本作は自分の中では満点、今まで観た映画の中でもトップ3に入る傑作だ。あまり映画を観て泣くタイプではないが、この映画ばかりは涙腺の緩みを禁じ得ない。主演を務める竹内結子さんが昨年(2020年)他界されたことで、本作はより一層観るのが辛い作品になってしまった。映画の中の竹内さんは相も変わらず、透き通るように美しく、どこか儚げで、元気な姿だった。

 

「じゃあ予約をお願いしたいんですけど、バースデーケーキを。そうだな、…12年分。子供が18になるまで、毎年。」

 

「切ない」という印象がどうしても強く残ってしまう本作だが、ただ切ないだけの映画ではない。切なさの中に、優しさを感じられるのだ。「切なさ」の中に映る「優しさ」だからとても温かく感じ、「優しさ」と隣り合わせにある「切なさ」だから喪失感を一入(ひとしお)に感じてしまう。この「切なさ」と「優しさ」という二つの相反する概念がお互いを引き立て合いながら一つの作品の中に共存している。これが、見る人の心を深く余韻に浸らせる要因になっていると思う。

 

また、この作品は全編通して松谷卓さん(あの有名番組『大改造!!劇的ビフォーアフター』でおなじみの挿入曲「TAKUMI/匠」の作曲者)が担当された映画音楽によっても「切なさ」と「優しさ」がさらに引き立てられている。特に「時を超えて」という曲は秀逸だ。静かで心地よいピアノの旋律から始まり、次第に盛り上がりを見せていく曲調は、「切なさ」から「優しさ」へと動く心境を、「雨」から「晴れ」へと変わる天気の変動を連想させる。雨の日に、もしくは雨上がりの木漏れ日の中で聴きたくなる、素晴らしい曲だ。

 

「ありがとう。あなたの隣は居心地が良かったです。」

 

「隣にいてくれる」ことの尊さ。この映画が教えてくれる大切なことだ。本当の幸福は、そんなに複雑じゃない。ただ「隣にいてくれる」、それだけでいい。他には何もいらない。そんな一見簡単なことですら、実は当たり前のことでは無いから。本作を観るたびに、隣にいる人、周りにいてくれる人に感謝したくなる、そんな映画だ。

 

何回も観返したくなる映画だけが好きな映画とは限らない。自分にとってこの作品は、今後もそう何回も観られないであろう、それでも、やっぱり大好きな一作だ。

 

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さて、次は何観ようかな。