映画を観て、想うこと。

『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』を観て。

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ2021
【監督】村瀬 修功

 

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「じゃあ教えてくれよ、この仕組みの深さを破壊する方法を。」

 

ガンダムシリーズの原作者・富野由悠李氏が1989~1990年に発表した小説の映画化作品。宇宙世紀(U.C.)0105年、第二次ネオ・ジオン戦争(シャアの反乱)から12年後、地球連邦軍大佐ブライト・ノアの息子、ハサウェイ・ノアは青年へと成長していた。先の戦争で接したアムロ・レイシャア・アズナブルの生き様に影響を受けた彼は、腐敗した地球連邦政府に反旗を翻す反地球連邦組織「マフティー」のリーダーとして活動していた。

※本作の主人公ハサウェイ・ノアは、あの名台詞「殴ったね!オヤジにもぶたれたことないのに!」の殴った方、ブライト・ノアの息子である。

 

「やっぱり、怖いことするよ、あなた。」

 

これまでガンダムとは縁の無い人生を送ってきた。そんな自分がなぜか本作を何の予備知識も無いまま、映画館に観に行ってみた。たまたま見た予告編、映画館で通りすがったポスター、そして主題歌([Alexandros]「♪閃光」)に惹かれて。結果、(良い意味で)とんでもないものを知ってしまったと感じるほどの衝撃を受けた。ガンダムの世界観に惹き込まれてしまったのだ。もちろん、作品の内容をすべて理解できたわけではない。出てくる名前、過去に起こった(であろう)出来事、そもそもの物語の設定も含め、決してガンダム初心者に優しい作品ではない。それでも、本作は「観てよかった」、「良い映画だった」と思わせるパワーがある。

 

何より目を見張るのは映像のクオリティーの高さ。人や建物の描写や背景美術は美しく、作品を通しておしゃれな雰囲気を演出している。いつまでも見ていたいと、スクリーンに釘付けにされ、映画を観終わった直後、「もう1回、映画館で観たい」とさえ思った。

 

特に圧巻だったのは、何と言ってもやはり、ガンダムの戦闘シーン。それもあえて「全貌を見せない」ニクイ演出が施されていたことに惹きつけられた。戦闘シーンはほとんどが仄暗い(ほのぐらい)中での戦闘だったが、都合良くガンダムだけ異様な鮮明さで描くようなことはせず、暗がりで煌々と光る眼と機体から発射されるミサイルや火器が辛うじて機体の一部を照らし出す程度に抑えられていた。それとは対照的にしっかり描かれていたのは、ガンダム同士の市街戦に巻き込まれた民間人の様子だ。一般市民の頭上で繰り広げられる攻防、降り注ぐ火の粉が街を溶かし、火の海と化した街の中を逃げ惑う人々の様子が生々しくも迫力満点に描かれていた。

 

「人類全部が地球に住むことはできないんだ。」

 

ガンダムのことを何も知らなかったくせに、自分はガンダムのことを誤解していた。勧善懲悪的な物語で、宇宙を舞台に、正義の軍団と悪の組織がロボットに乗って戦うアニメだと思っていたのだ(往年のファンに怒られそうな偏見だと、書いていて反省しました)。これまた(良い意味で)裏切られた。本作を観て感じたのは、とても人間臭い物語であるということ。本作以前は戦争を、本作では犯罪者(テロリスト集団のリーダー)を主人公に据え戦争終結後も続くテロを描いており、モビルスーツという戦闘兵器を駆使して戦う人間同士の思想の対立を主軸に置いた作品だった。

 

実際に、世界人口は今後も増加傾向にあるという。仮に近い未来、地球に全人類が住むことができなくなったと仮定し、そして仮に宇宙開発の発展により宇宙にも住むことが可能になったと仮定した場合、我々はどうするだろう。やはり答えは「地球に住みたい」になるのではないだろうか。では、誰が地球に住み、誰が宇宙に住むのか。大ヒットアニメが掲げた問題提起は、近い未来の人類が本格的に向き合わなければならない課題になるかもしれない。

 

「身構えている時には、死神は来ないものだ。」

 

本作は3部作の1作目らしい。また一つ、続編が楽しみな映画に出会えた。原作の小説を読まずに観賞するか、読んだうえで観賞するか、待ち遠しくも悩ましい日々は続く。

 

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さて、次は何観ようかな。