映画を観て、想うこと。

『空飛ぶタイヤ』を観て。

空飛ぶタイヤ』 2018
【監督】本木 克英

 

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「中小企業なめんな。」

 

よく晴れたある日、赤松運送のトレーラーが走行中に脱輪事故を起こす。ブレーキをかけた瞬間にバランスを崩したトレーラーのタイヤは空を飛び、歩行者を直撃、死傷者を出してしまう。整備不良を疑われた運送会社社長の赤松(長瀬智也)はトレーラーの製造元であるホープ自動車に再調査の依頼をするが、取り合ってもらえない。人殺しの汚名を背負った会社で働く自社社員とその家族のため、赤松は大企業の闇に立ち向かう。

 

「こっちは従業員とその家族の生活がかかってるんだ。俺が闘わなくて誰が闘う。」

 

池井戸潤の社会派小説を原作に持つ本作、大企業がひた隠しにする「闇」に中小企業の社長が立ち向かう物語。強大な悪に弱くも正しき者が立ち向かう爽快感たっぷりの一作、と言いたいところだが、実際は追い詰められ葛藤する会社の社員や、事故に巻き込まれた遺族の様子など、終始重々しい題材を扱う作品となっている。そんなシリアスな内容でも、社長というより、もはやアニキ感の方が強い長瀬さんの半端じゃない漢気(おとこぎ)には、「もうどこまででも付いて行きます!」と思わず叫びたくなってしまうような勇気をもらえる。一方、そんな若い社長を年の功で支え、「現実を見なさい」的に冷静に寄り添う赤松運送の宮代専務を演じた笹野高史さんの演技もこの作品には欠かせない。社長と専務の絶妙なコンビネーションが心地良い空気感を醸し出している。

 

「俺はやると言ったらやる。徹底的にな。最後まで闘う。」

 

本作の最重要キーワード「リコール」。広辞苑によると、“自動車などで、製品に欠陥がある場合、生産者が公表して、製品を回収し無料で修理すること”とある。欠陥のある製品を、そうと知らずに使い続けてしまう恐怖。消費者には被害者になる可能性だけでなく、加害者になってしまう可能性もあるという事実に戦慄する。リコールはあってはならないことであり、ましてやそれが隠されるようなことがあるなど、考えたくもない。ただ、実際に隠されてしまった事件も過去には起きてしまっており、リコール隠しは我々にとっても他人事では済まされない大きな社会問題である。

 

なぜ悪事は隠されてしまうのか。様々な要因があるのだろうが、一つに、社会が過ちに寛容でなくなってしまっているからという一因もあるように思う。何事においても、人や組織の本性は失敗してからの姿勢に表れると思う。隠すのか、向き合うのか。企業の誠実さは人の命にもかかわる重要なことだからこそ、憎むべきは隠されてしまうことであって、リコールそれ自体ではない。リコールは企業の誠意と捉えることもできるのではないか。何事も、失敗を許さないことよりも、失敗を隠させないことの方が大事ではないか。失敗は隠されてはじめて悪事になる、失敗それ自体は悪事ではないのだ。

 

「それでも信じてんだ。こんな状況の中で、精一杯やった想いが誰かに届いて、奇跡が起きることを信じてんだ。」

 

本作のエンドロールで流れる主題歌「闘う戦士(もの)たちへ愛を込めて」は、人間社会で闘うすべての人たちに捧げられたサザンオールスターズからの応援歌だ。明るい曲調ながらも、どこか哀愁がしみ込んでいるメロディーと、以下の歌詞の一節が頭から離れない。

 

しんどいね 生存競争(いきていくの)は
酔いどれ 涙で夜が明ける
(曲:「♪闘う戦士(もの)たちへ愛を込めて」 唄:サザンオールスターズ

 

正直に生きるのはしんどい。頑張りすぎるのも良くない。でも、まだ踏ん張れるなら、歯を食いしばれるなら、「俺が/私が闘わなくてどうする!!」の意気を大切に、明日も頑張りたいと思う。そうやって貫いた誠実さが、誰かに届いたり、誰かを救ったりするって信じてんだ。

 

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さて、次は何観ようかな。