『アデライン、100年目の恋』を観て。
『アデライン、100年目の恋』 2015
【原題】The Age of Adaline
【監督】リー・トランド・クリーガー(Lee Toland Krieger)
“Tell me something I can hold on to forever and never let go.”
“Let go.”
ある事故と、その時に起きた奇跡がきっかけで、年を取らない体になってしまったアデライン・ボウマン(ブレイク・ライブリー)。100歳を超えている彼女の容姿は29歳のまま、名前を変え、住まいを変え、世間から身を隠しながら孤独に暮らしていた。一人娘フレミング(エレン・バースティン)もいつしか自分の年齢を越え、祖母と偽らざるを得なくなり、唯一心を赦せる愛犬に先立たれる喪失感にも耐えられなくなっていた。そんなある日、彼女は青年エリス(ミキール・ハースマン)と出会い、恋に落ちる。しかし、100年におよぶ人生の中で、アデラインはエリスとの間に不思議な縁があることに気がつく。
“I mean a future together, growing old together. Without that, love is, uh… It’s just heartbreak.”
「2人で共に老いていく将来のことよ。それがなければ愛は…辛いだけ。」
ファンタジー、ラブロマンス、SF(Science Fictionの略)に、ほんの少しサスペンスのエッセンスが加わった、「数奇」な雰囲気を持つ一作。「数奇」といえば、2008年に公開された『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(老人として生まれ、年を取るごとに若返っていく主人公をブラッド・ピットが演じた作品)とどこか似た空気感を感じる。本作では、29歳の姿のまま100年以上生き続けてしまうという数奇な運命に翻弄される一人の美しい主人公アデラインをブレイク・ライブリー演じている。彼女が表現する「美しさ」には注目だ。表向きの29歳としてのエレガントな美しさに加え、100歳としての経験と知性が醸し出す落ち着いた美しさも感じさせ、深みのある「美しさ」を表現している。
“All these years, you’ve lived but you never had a life.”
「もうこの辺で失われた人生を取り戻せ。」
太古の昔より人類が追い求め続ける永遠の夢、少年漫画に登場する悪役のほとんどが抱く野望、「不老不死」。本作は、そんな夢のような体を手に入れてしまった一人の女性の物語だ。時間の経過に影響を受けない体は、一見羨ましいように思えるが、決してそんなことは無いということを本作は示してくれる。世界を征服する力も無ければ、魔法も使えない、一人の生身の人間が背負うとき、「不老不死」という人類の夢は「呪い」と化してしまう。
仏教に「生老病死(しょうろうびょうし)」という言葉がある。人間が人生で避けることができない4つの根源的な苦しみを意味する言葉だ。老いる苦しみ、病む苦しみ、死ぬ苦しみは予想できるが、何より先に「生きる苦しみ」があるということを、お釈迦様は説かれている。永遠に生きるということの負の一面、自分だけ立ち止まる恐怖、喪失と向き合い続ける恐怖、アデラインがこれらの恐怖と向き合っていることが、本作で見せる哀愁の表情に表れている。人生(人が生きるということ)の価値は有限の中にあるように思う。限りある命だからこそ、人は精一杯生きるのだ。
“Adaline, you okay?”
「アデライン、大丈夫か?」
“Yes, perfect.”
「ええ、完璧よ。」
生きる苦しみについては、実はほとんどの人がすでに認識していることなのではないだろうか。病む苦しみ、死ぬ苦しみは言わずもがなだろう。そうすると、不思議なことに、「老いる苦しみ」には幸福な一面もあるように思えてくる。「年は取りたくないねぇ~」という意見もあるが、誰かと共に老いる幸せを感じながら年を取れるなら、これほどの幸福はない。本作のラストでアデラインの身に再び起きる奇跡、一般的には嫌なことと捉えられがちだが、アデラインにとってそれは“perfect”なのだ。
生きることの負の一面、老いることの幸福な一面、物事は捉え方次第だ。
さて、次は何観ようかな。