映画を観て、想うこと。

『アバター』を観て。

アバター』 2009
【原題】Avatar
【監督】ジェームズ・キャメロン(James Cameron)

 

 

“One life ends, another begins.”
「一人が死に、もう一人が生き返った。」

 

西暦2154年、元海兵隊員のジェイク・サリー(サム・ワーシントン)は地球から5光年離れた“パンドラ”という星に向かっていた。そこでは、人類が直面しているエネルギー問題を解決するカギとなる鉱物“アンオブタニウム”の採掘が行われていた。しかし、パンドラにはナヴィ族と呼ばれる先住民が、星と、そこに生息する生物たちとの神秘的な繋がりを重んじて生活していた。難航する資源開発を進めるべく、人類は遺伝子工学で開発したナヴィ族と同じ体(アバター)に人間の精神をリンクさせる“アバター・プロジェクト”を推進し、ナヴィ族との交渉を試みていた。この計画に参加することになったジェイクは、ナヴィ族の娘ネイティリ(ゾーイ・サルダナ)と出会い、彼らの生き方に惹かれていく。

 

“You have a strong heart. No fear.”
「あなたの心ツヨイ。恐れを知らない。」

 

名実ともに世界一の映画。2009年に公開された本作は、それまで12年間不動の地位にあった『タイタニック』(1997)の記録を抜き、その後一度は抜かれるも、現時点(2022年現在)で世界歴代興行収入1位の座に君臨している。いわば映画の王様のような作品だ。しかも、塗り替えられた『タイタニック』も、塗り替えた本作『アバター』も、監督は同じジェームズ・キャメロン。彼が映画界にもたらしている革新は計り知れない。

 

一体どうしたらこんなことを思いつくのだろうか。1995年から本作の脚本を書き始めていたというジェームズ・キャメロンの想像力の豊かさには開いた口が塞がらない。史実を元に制作された『タイタニック』とは違い、『アバター』というSF作品は一から「すべて」を創り上げる必要がある。ストーリーやキャラクターだけでなく、遥か遠い未来の人類が直面する問題、彼らが作り出した乗り物や機械、そして彼らが目指す“パンドラ”という星とそこに存在する万物。まさにこの世界の創造主となったジェームズ・キャメロンは、もはや普通の映画監督の域にはいない。

 

“Everything is backwards now. Like out there is the true world, and in here is the dream.”
「世界が逆転したようだ。あっちが現実で、ここが夢に思える。」

 

実はそんなに観返す機会がなかった『アバター』を、久々に観返すきっかけがあった。最新技術で本作を蘇らせた『アバタージェームズ・キャメロン 3D リマスター』が映画館で2週間限定公開されたからだ。「『アバター』を映画館で観られるのか・・・まあ、観とくか」的な軽い気持ちで足を運んだ自分を褒めてあげたい。逃してはならない機会だった。本作はやはり映画館で観て本領を発揮する映画だった。音と光を浴びている感覚、映画を浴びている感覚が味わえるのは、やっぱり『アバター』しかない。映画が観るものから体感するものへと進化するきっかけを作ったのは、間違いなくこの作品だ。興行収入世界一という実績は、まるでそこにいるような、映画の中にいるような体験を観客に提供し、観終わった後も「あの世界に帰りたい」と思わせ、何度も映画館に足を運ばせるほど魅了した証拠だろう。

 

“The Na’vi say that every person is born twice. The second time is when you earn your place among the people, forever.”
「ナヴィたちは、人は二度生まれ変わると信じている。そして二度目に一人前と認められる。永遠に。」

 

実はストーリーはいたってシンプル。捻りがないと感じる人もいるようだが、個人的にはシンプルだったからこそ良かったのだと思う。わかりやすいから、観客は物語を読み解くことより、飛び込んでくる映像に集中できる。足の不自由な主人公は現実世界に絶望し、もう一つの世界(パンドラ)でアバターという「足」を手に入れる。ナヴィ族と接触する中で少しずつ彼らの生き方に感化されてゆき、自分の種族との狭間で揺れ動きつつも、最終的には守るべきものを決めて戦う。ただ特筆すべきなのは、人類が侵略者であるということだ。

 

聖域に立ち入りたい人類と、故郷を侵略者から守りたいナヴィ族。科学力で侵略する人類と、星と生命の神秘的な絆の力で立ち向かうナヴィ族。この対比が壮大な映像と共に語られる。目を見張るのは、パンドラという星で生きる生き物たちの造形だ。動物、植物、森や山、そこに生きるナヴィ族と彼らの営み、見たことがあるようで、我々の知るそれとはまったく違う生態系や文化が描かれている。そして、その星に生きるモノすべてがみな不思議な絆で繋がっているという彼らのスピリチュアルな思想も、人間の科学力では解き明かせない神秘性を際立たせている。薙ぎ払い燃やし尽くすことしか能の無い無骨な機械を駆使し、生命とその繋がりをどんどん断ち切る人間の姿は、どこか現代の我々に向けられたメッセージのようにも感じる。

 

“I see you.”
「君が見える。」

 

続編『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』の公開が2022年12月に迫ってきた。ついつい期待しまう。(アバターシリーズに限らずだが)この作品を越えるゲームチェンジャー的作品が出現し、映画がまた一歩進化することを。でも、どんなに技術が進歩し、革新的な映像が生み出されても、人の心を震わすのは普遍的なメッセージなのかもしれない。

 

 

さて、次は何観ようかな。