映画を観て、想うこと。

『フェイブルマンズ』を観て。

『フェイブルマンズ』 2022
【原題】The Fabelmans
【監督】スティーヴン・スピルバーグSteven Spielberg

 

 

“Movies are dreams that you never forget.”
「映画は決して忘れることのできない夢よ。」

 

サミー・フェイブルマンは幼少期、両親に連れられて映画館で観た初めての映画『地上最大のショウ』に心を奪われる。特に車と列車が衝突するシーンの衝撃が脳裏に焼き付いて離れなくなった彼は、父バート(ポール・ダノ)にプレゼントしてもらった列車の模型を使い、何度もそのシーンを再現する。見かねた母ミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)はサミーにビデオカメラを渡し、「最後の1回をフィルムに納めれば、何度でも観られる」と提案する。これが、彼が初めて撮影した作品となる。

主人公のサミーのモデルはスティーヴン・スピルバーグ、本作監督が自分自身を描いた一作である。

 

“You can’t just love something. You also have to take care of it.”
「愛するだけではダメだ。大切にしないと。」

 

ジョーズ』、『E.T.』、『ジュラシック・パーク』、『A.I.』、『レディ・プレイヤー1』、生きていれば人は何かしらの形で彼の作品に出会っているはず。映画界のレジェンド、スティーヴン・スピルバーグ監督。そんな彼が、自分自身の思春期を描いたのが本作『フェイブルマンズ』である。「きっと夢と希望に満ちた内容で、映画がどれだけ素晴らしいものかを語る一作になっているはず」と観る前までは思っていたが、甘かった。

 

本作で描かれているのは、映画がもたらす功罪。映画の神様が映画を撮る苦しみ、ある種の「負の一面」に触れている。作る者の都合で真実と嘘が切り張りされ人々の目に届く。その事実は、カメラのファインダーを覗いている人、撮ったフィルムをカット編集している人にしかわからない。映画作りとは、真実を歪めている作業でもあるのだ。捨てるカット、残すカット、そこに写っていたもの、写っていなかったもの、写っていてほしかったもの。良かれと思って作った作品が他人や自分自身を、喜ばせることもあれば、傷つけることもある。「芸術には痛みが伴う」、作中に登場するボリスおじさん(ジャド・ハーシュ)がサミー(スピルバーグ監督)に説くこのセリフに唸ってしまった。

 

“Sticking your head in the mouths of lions was balls. Making sure the lion don’t eat my head, that is art.”
「ライオンの口に頭を突っ込むのは度胸だ。その際、食われないようにする、それこそが芸術だ。」

 

スピルバーグ監督曰く「この映画はたとえ話ではなく、記憶」とのこと。両親の関係、学校でのいじめ、決して平穏な日常ではなかったスピルバーグ監督の人格形成期。自らが撮ったもので傷ついたこともあった。それでも今日のスピルバーグ監督の功績があるのは、初めて映画館で受けた衝撃や恐怖を映画製作の熱に変え、作らずにはいられないという衝動に忠実だったからなのだろう。

 

“Where is the horizon?”
「地平線はどこにある?」

 

本作のラストは見事としか言いようがない。これ以上ないと言えるほどの成功を収めてきた巨匠の自伝的作品の結末が、「これからも精進します」宣言で締めくくられるとは意外だった。シンプルな会話/言葉とカメラワークだけで、こうも強いメッセージとユーモアを伝えられるものなのか。自分自身の物語をサクセスストーリーにはせず、まだまだ継続中であると語る、どこまでも流石です。

 

彼のこれまでの作品にも、これからの作品にも、きっと「面白い地平線」は隠れているに違いない。

 

 

さて、次は何観ようかな。