映画を観て、想うこと。

ダニエル・クレイグが“ジェームズ・ボンド”として残した功績について、想うこと。

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“Bond. James Bond.”
「ボンドだ。ジェームズ・ボンド。」

 

このセリフを口にする権利を得る役者が、今後一体何人現れるだろう。イギリスの秘密情報部“MI6”の腕利きエージェント、“007(ダブル・オー・セブン)”ことジェームズ・ボンド。もはや映画好きでなくても、彼の名前とコードネームは誰しもが聞いたことのある一般常識レベルのキャラクターだろう。イギリスの小説家、イアン・フレミングが1953年に生み出した世界で最も有名なスパイは、これまで6人の役者に演じられてきた:ショーン・コネリー(初代/6作)、ジョージ・レイゼンビー(2代目/1作)、ロジャー・ムーア(3代目/7作)、ティモシー・ダルトン(4代目/2作)、ピアース・ブロスナン(5代目/4作)、そしてダニエル・クレイグ(6代目/5作)だ。

 

2021年10月に公開された『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』をもって、6代目として主演を務めたダニエル・クレイグは15年間の007/ジェームズ・ボンドとしての役目を終えた。史上初の金髪、青い目のジェームズ・ボンドとして抜擢された彼に待ち受けていたのは、痛烈な批判だった。「ボンドにふさわしくない」、「誤った配役」、「身長が低い」、「醜い顔」、「史上最低のボンド」といった酷評を、そのハードボイルドな演技と見応えのあるアクションで跳ね除け、歴代最長となる15年もの間、ジェームズ・ボンドという看板を背負い続けた。肉体的にも精神的にも苦労の多い15年だったことが予想されるダニエル・クレイグに、まずは心より「お疲れ様でした!!」の言葉を贈りたい。

 

個人的に、ジェームズ・ボンドと言えばピアース・ブロスナン(5代目ジェームズ・ボンド)の印象が強かった。ダニエル・クレイグという役者のことは正直、彼が007になるまで知らなかった。そんな「無名だった」役者が残した5作品により、自分の中の007像は見事に塗り替えられてしまった。改めて、ダニエル・クレイグが演じた007シリーズは一体どのような作品だったのか。最新作を映画館で観た後、居ても立ってもいられなくなり、クレイグ版ボンド前4作品も観返してみた。何を想ったかまとめてみたい。

 

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007/カジノ・ロワイヤル2006
【原題】Casino Royale
【監督】マーティン・キャンベルMartin Campbell

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"You don't trust anyone, do you, James?"
「ジェームズ、誰も信用しないのね?」

"No."
「ええ。」

"Then you've learnt your lesson."
「学んだわね。」

 

やはりシリーズ成功のカギを握ったのは1作目『007/カジノ・ロワイアル』。その完成度の高さと、クレイグ版ボンドとしての「こだわり」をセンセーショナルに提示した一作。本作ではジェームズ・ボンドが殺しのライセンスを得て昇格する、“007”誕生の瞬間が描かれている。体も顔も傷だらけになりながら体当たりで任務に挑む、粗削りで血気盛んなボンドはこれまでのボンド映画に無かった新鮮さがある。また物語上では、エヴァ・グリーンが演じたヴェスパーというヒロインの存在がクレイグ版ボンドの最も重要な設定となっている。ボンドはシリーズを通して彼女への想いを引きずることになるからだ。

そう、クレイグ版ボンドは一途な男なのだ

 

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007/慰めの報酬』2008
【原題】Quantum of Solace
【監督】マーク・フォースターMarc Forster

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"Tell me when you do. I'd like to know how it feels."
「復讐を遂げたら教えて。どう感じるか知りたいの。」

 

2作目「007/慰めの報酬」では前作で大切な女(ひと)を失ったボンドの傷心が描かれる。復讐心と怒りに燃えるボンドの見事な職権乱用っぷりが見どころ。殺しのライセンスを武器に、とにかく殺しまくるボンドの狂気に満ちた冷たい目は、間違いなくこの2作目で一番冷たさを帯びた青い目だっただろう。ボンドの上司であるMまでも「殺しすぎだ!」と叱る始末。手の付けられないボンドは、ラストで成長も見せる。

そう、クレイグ版ボンドは根に持つタイプなのだ。

 

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『007 スカイフォール』2012
【原題】Skyfall
【監督】サム・メンデスSam Mendes

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"Where the hell have you been?"
「今までどこにいたの?」

"Enjoying death. 007 reporting for duty."
""を満喫していました。007、職務に復帰いたします。」

 

予想外な展開が満載な3作目『007 スカイフォール』。殉職からの復帰(!?)に始まり、彼自身の肉体の衰え、生まれ故郷、同僚との連携など、これまでにないジェームズ・ボンド像が描かれる。「世代交代」というテーマが印象的な本作の見どころはやはり、ボンドの上司であるMを演じたジュディ・デンチ(5代目シリーズからのM役)の勇退だろう。古きものの良さと、新しい世代の逞しさ、観終わった後、余韻に浸ってしまう良作。

そう、クレイグ版ボンドは結構いい歳なのだ。

 

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『007 スペクター』2015
【原題】Spectre
【監督】サム・メンデスSam Mendes

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"It was all me, James. It's always been me. The author of all your pain."
「全て私だったんだよ、ジェームズ。君の苦しみはすべて、私の作品だったんだ。」

 

これまでの事件の黒幕が遂に明らかになる4作目『007 スペクター』。タイトルにもなっている巨大な敵組織「スペクター」、その首領と実は所縁のあったボンド。因縁の敵の再登場、その再会から新たなヒロイン、マドレーヌ(レア・セドゥ)との出会いに繋がる本作。クレイグ版ボンドは当初は本作が最後になるかに思われていたが、描くべき物語がまだ残されていた。マドレーヌの過去に。

そう、クレイグ版ボンドは、実はすでに引退していたのだ。

 

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『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』2021
【原題】No Time to Die
【監督】キャリー・ジョージ・フクナガ(Cary Joji Fukunaga

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“You have all the time in the world.”

 

そして最終章、『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』。前作までの4作がエージェント“007”を描いていたのに対して、5作目の本作は人間“ジェームズ・ボンド”を描くという、クレイグ版ボンドの中でもまた一味違う作品に仕上がっている。「過去を忘れることができるか」というテーマからも、このシリーズを完結させんとする覚悟と、次なるシリーズへのリスペクトがひしひしと伝わってくる。ラスト、ボンドの「青い目」がクローズアップされるシーンがある。15年前に受けた「007に相応しくない」というバッシングの対象となったのも「青い目」だった。そのあまりの美しさに、目頭が熱くなった。

そう、クレイグ版ボンドのフィナーレはあっぱれな締めくくりなのだ。

 

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クレイグ版ボンドの一番の特徴は、5作全ての物語が繋がっているという点だ。作品ごとにストーリーが独立して成り立っていた過去シリーズの作品とは違い、まるで「5作で1作」の作品であるかのような、15年をかけて完結した一つの物語のような重厚感がある。クレイグ版ボンドの「こだわり」、それはシリーズを通して“ジェームズ・ボンド”という「人間」を描いたことにあり、この点においてはこれまでのシリーズでは果たせなかった成功を収めたシリーズだったと言える。そういう意味で、ダニエル・クレイグは歴代のどの役者よりも色濃く“ジェームズ・ボンド”の生き様を残したと思う。

 

人間を描くからには、その人間の「弱さ」もしっかり捉えなければ作品が軽くなってしまう。クレイグ版ボンドはこの点からも決して目を逸らさず、むしろ積極的に「弱いボンド」を描き続けた。未熟なエージェントから始まり、傷つき、怒りに我を忘れ、絶望し、老いや過去のトラウマと向き合い、引退した後も弱った体に鞭打ってまた戦いの場に戻っていく。ボンドの一番の弱点は何だったのか。それは人からの「裏切り」、特に「愛した女性からの裏切り」に耐えられない男だったのではないだろうか。

 

また、シリーズを通して、数々の印象的なシーンがいくつも浮かんでくるのも、これら5作が映画作品として傑作だった証だ。荒唐無稽な娯楽スパイ映画に人間ドラマというエッセンスを加え昇華させた功績は素晴らしい。目の肥えた映画ファンは、早くも次のボンドが誰になるかを見据えているが、今しばらくはクレイグ版ボンドの余韻に浸っていたい気持ちの方が強い。焦らずに待ちたい。だって、“James Bond will return”(『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』の最後に登場するテロップの一文)なのだから。

 

最後に、シリーズで何度か登場する個人的に一番好きなジェームズ・ボンドのセリフでこの記事を閉めたい。「何でそれ?」と思われるかもしれないが、なぜか印象に強く残っている、潜入捜査をするエージェントとして最も大切な心得である。

 

“Stop touching your ear.”
「耳に手をあてるな。」

 

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さて、次は何観ようかな。

『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』を観て。

プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命 2012
【原題】The Place Beyond the Pines
【監督】デレク・シアンフランスDerek Cianfrance

 

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"Do you remember my name?"
「私の名前覚えてる?」

 

移動遊園地のバイクショーでスタントマンとして生計を立てていたルーク(ライアン・ゴズリング)は、久々に訪れた町でロミーナ(エヴァ・メンデス)と再会する。彼女は密かにルークの子供・ジェイソンを出産し育てており、新しい恋人・コフィ(マハーシャラ・アリ)と共に暮らしていた。その日暮らしの生活を送っていたルークだったが、息子のためには実の父親が側にいてやる必要があると決意し、ロミーナに一緒に暮らすことを提案するも、「夢のような話」と断られてしまう。二人を養うだけの稼ぎがないことが原因と断定したルークは、自らのバイクの腕に頼り、遂には銀行強盗に手を染めてしまう。そんなある日、犯行を終え逃走するルークを警察官・エイヴリー(ブラッドリー・クーパー)が民家に追い詰める。この運命の交錯により生じた因果は15年後、彼らの息子たちにも受け継がれることとなる。

 

"You got a kid? You want to provide for that kid? You want to edge out your competition? You got to do that using your skillset. And your skillset...very unique."
「子供がいるんだろ。金が要るんだろ。邪魔な後釜の男を蹴散らしたいだろ。自分の才能を使わない手はない。お前の腕前は・・・特別なものだ。」

 

用事の合間にできた時間を潰すため、たまたま立ち寄った〇ックオフで本作と出会った。タイトルすら知らなかった作品だったが、パッケージが目に留まり、ライアン・ゴズリングブラッドリー・クーパーが共演する犯罪(クライム)サスペンスと知れば、もう疑う余地はない。滅多にしないジャケ買い/衝動買いをし、帰宅後即観賞。結果、作品の持つ重厚感に圧倒され得も言われぬ満足感で満たされた。「なぜ今まで出会わなかったのだろう?」とむずがゆいセリフまで頭に浮かんでしまうほど、本作に惚れてしまった。こういう出会いがあるから、映画発掘(ブッ〇オフ巡り)は楽しい。

 

作品を引っ張っていたのは、やはりライアン・ゴズリング、この人だった。彼の演じたルークという男の刹那的な生き様が物語前半をリードする。大胆さと繊細さが共生する危ういけどどこか憎めない内面に、甘いマスク、鍛え上げられた肉体、全身に広がるタトゥー、赤いジャケット、そしてバイクという要素が加わり、クールでカッコいい、印象的なアウトローとして完成されていた。そんな個性的なキャラクターを支えていたのが、堅実な警察官エイヴリーを演じたブラッドリー・クーパーだ。その真面目さ故に苦しむことになる警察組織内での葛藤が物語中盤を盛り立てる。犯罪者と警官、この対照的な二人には「幼い息子の父親」であるという共通点があり、物語の終盤、父親たちの生き様は息子たちの人生にも影響を与えることになる。

 

"We do what we do."
「お互い役割を果たすまでだ。」

 

物語は15年の時を超えて父親同士の因縁を息子たちが引き継ぐ形で展開する。苦しみ、もがき、葛藤するも、本作のラストは意外にも清々しさすら感じるような終わりを迎える。それはきっと彼ら息子たちが、背負った宿命に「抗(あらが)わない」という選択を自らの意志でするからだろう。その潔さに託されたメッセージはこの物語の完結のさせ方に相応しいように感じた。

 

本作の邦題に付け足されている「宿命」というキーワード。避けられない運命的なものに、人は抵抗を感じてしまうことがある。「決められた人生」、「敷かれたレール」、そんなこと言われたら抗いたくなっちゃうに決まっている。宿命は性分とも似ている。人の考え方は変えられても、性分までは変えられない。でも、変えられないものに抗いたくなっちゃうのもまた人間の性分なわけで・・・(はぁ~難しいね~)。

 

悩み抜いた末の結論は、本作に登場する二人の息子たちのように「抗えないのなら、進んで受け入れる」だと思った。「パンが無ければ、お菓子を食べればいいじゃない」くらい「それが出来たら苦労しないわ!」的な答えだが、余計なことは考えないようにすることも大切、これは負けでも妥協でもない、一つの前向き選択なのだと思う。これが一番簡単で、一番難しい(はい矛盾してますね)。

 

"If you ride like lightning, you're going to crash like thunder."
「稲妻のように走れば、雷のように砕け散るのみ。」

 

物語の舞台、ニューヨーク州“スケネクタディ”はモホーク族(北アメリカの先住民族)の言葉で「松林(pines)の向こう側」という意味らしい(本作の重要な場面で度々松林が象徴的に登場する)。原題も邦題も中身も、秀逸な傑作だ。

 

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さて、次は何観ようかな。

『火垂るの墓』を観て。

火垂るの墓』 1988
【監督】高畑 勲

 

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「昭和20年9月21日夜、ぼくは死んだ。」

 

昭和20年9月21日、14歳の清太は神戸駅構内で衰弱のためこの世を去る。遺体を片付けていた駅員は清太の所持品の中にドロップの缶を見つける。気にも留めない駅員はその缶を駅舎の外に放り捨てる。地面に落ちた衝撃で蓋が開いた缶からは清太の妹・節子の遺骨の欠片が飛び出す。太平洋戦争下の神戸、空襲による戦火が神戸の街にも襲い掛かる中、幼い兄妹二人で生き抜こうとした清太と節子の壮絶な3か月間が描かれる。

 

「非常時いうてもあるとこにはあるもんや。軍人さんばっかり贅沢して。」

 

こんなご時世だからこそ、逆に普段できないことをしようと考え、今年ある目標を立てていた。それは、過去のトラウマと向き合う時間を作ること。本作を観るのは人生で2回目、最後に観たのは小学校低学年の夏休みだった。あの日のことは今でも鮮明に覚えている。田舎のおばあちゃんの家で、たまたまつけたテレビ(〇曜ロードショー)で放送されていた本作を家族で観賞し、あまりの切なさと無常さに心を砕かれヘトヘトになるまで泣きじゃくった。それ以来この作品は、まるで白いTシャツに飛び散ったカレーうどんの汁のように、こびり付いて取れないトラウマになっていた。そんな封印を、この機会に解いてみることにしたのだ。

 

「あれ特攻やで。」
「ふーん、ホタルみたいやね。」

 

初めて観た子供の頃は「兄妹の目線」に立って観ていたが、大人になって観た本作の印象は少し変わった。率直に抱いた感想は「清太と節子はひょっとしたら死なずに済んだんじゃないか?」というものだった。兄妹は孤独だったと誤解していたが、周囲の大人たちは自らも苦境の中にいる割には優しく、兄妹に手を差し伸べてくれていた。その差し伸べられた手を振り払ってしまう兄・清太と、そんな兄についていくしかない幼い妹・節子。海軍大尉の父親(日本という国そのものと言い換えられなくもない)が戦争に負けるはずがないと信じて疑わない清太と、そんな兄を信じて疑ない節子。現代を生きる我々が違和感を覚える清太の行動は我々の常識では測れない、戦争のあった時代の産物なのだろう。

 

「うち何もいらん。家におって兄ちゃん。行かんといて。」

 

(原作者の野坂昭如さんはもちろんのこと)本作の監督である高畑勲監督も、戦争を経験されており、ご自身の空襲体験をもとに作品を作られている。淡々と描かれる描写、あの当時起きていたことをありのままに描いた本作、決して誰もが観たいと思う内容ではないものの、あえて「きっと皆はこういうものが観たいのだろう」という観客の期待に迎合しない姿勢がこの映画から伝わってくる。映画はあくまで娯楽だと思う。これまで本作はこの考えの前に立ちはだかっていたが、高畑監督があるインタビューで語られていた以下の言葉が、この心のわだかまりに一つの答えを示してくれた。

 

「悲しくて泣くことは、最大の娯楽です。」

 

反論を覚悟で言うが、全国の親御さん、是非この作品は子供たちに一度は観せてあげてください。劇薬であることは間違いない、でも子供たちの心にこそ響く力がある、必要な教材だ。世界中の人がこのトラウマを共有できた時、過ちは繰り返されないと強く想う。

 

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さて、次は何観ようかな。

『孤狼の血 LEVEL2』を観て。

孤狼の血 LEVEL22021
【監督】白石 和彌

 

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「そういやもう、日本に狼はおらんのんよのう・・・。狼は凶暴になり過ぎて手に負えんようになったけぇ、人間様が根絶やしにしてしもうたんじゃ。強うなり過ぎるんも、考えもんじゃのう。」

 

呉原東署のマル暴刑事・日岡松坂桃李)は、3年前に呉原市(架空の都市)で起きた暴力団同士の抗争を裏で治めて以降、暴力団と警察組織の陰で暗躍しながら町の治安を保っていた。しかし、保たれていた秩序はある男の出所を機に崩壊の一途を辿ることになる。先の抗争で殺害された五十子(いらこ)会元会長・五十子正平の腹心であった上林(鈴木亮平)は、親(=五十子)の仇への復讐心に燃え、己の破壊衝動のままに立ちはだかる者をその手にかけていく。

 

「ワシら所詮はそこらに転がっとる石ころでしょーが。」

 

前作『孤狼の血』の公開から3年、物語の中でも同じく3年の月日が経った架空の都市・呉原を舞台に、本作はあらゆる意味でレベルアップした続編となっている。特に、若い世代の俳優さんたちの活躍が目立つ、世代交代を象徴するような作品に感じた。「一花咲かせちゃる!」と言わんばかりの意気込みで作品に臨んでいる若くて猛々しい気迫が、躍動する姿から、発する怒声から、悲哀の眼差しから伝わってくる。逆に、ベテラン陣は主役(若手)を引き立たせる脇役として、呆気なく死んでいくロートルに徹していたところもまた良い。「世代交代」と「レベルアップ/進化」、この2つのテーマがひしひしと伝わってくる一作だ。

 

「口答えしょーんは全員ブタ箱叩き込んじゃる。ええのぉ!」

 

やはり主演二人の演技について語らずにはいられない。

 

前作から引き続きの出演で、今回は座長として作品を引っ張った日岡役の松坂桃李さんは、画になるシブさとニヒルな雰囲気を身にまとったダークヒーローにレベルアップしていた。この『孤狼の血』シリーズは日岡の成長物語でもあるが、彼がイズムを継承する前作のバディ役・大上を演じた役所広司さんには決して出せない「発展途上」感を、松坂さんならではの雰囲気で醸し出していた。完成された狼ではなく、あくまで狼になろうともがく「警察の犬」感、その不完全な感じが、短く切った髪、こけた頬、無精ヒゲ、据わった眼光、そして、前作『孤狼の血』で大上(役所広司)から継承したZIPPOでタバコに火をつける仕草に表現されていた。

 

そしてもう一人、本作の最大の見どころと言っていいヤクザ・上林役を演じた鈴木亮平さん。「日本映画史に残る悪役にしてほしい」という白石監督の発注に見事応え、観た者の脳裏に一生刻まれる悪役を納品してみせた。物語の悪役は色んな言葉で表現されるが、上林を表現するのに一番しっくりくる言葉は「悪魔」だろう。ヤクザというよりサイコパスに近いその猟奇的で残虐非道な所業の数々は、時にスクリーンを直視できない描写として描かれている(間違いなく前作より閲覧注意度はレベルアップしている)。このキャラクターが悪役として最も優れているところは、極悪非道でありながら、時折そこはかとないチャーム(charm、魅力)を見せるからだろう。悪魔でありながらずっと悪魔の表情をしているわけではない、この落差が凶暴さを一層引き立たせている。日本映画界の悪役像を進化させた鈴木亮平さんの爽やかな笑顔と、純粋で恐ろしい凶暴さは必見だ。

 

「ほんなら殺してくれんね。」

 

本作の制作現場に白石監督が導入したリスペクト・トレーニングについても触れたい。ハラスメントを防止するため、本作のスタッフ・キャストは全員講習を受けて撮影に臨んでいたとのこと。お互いを尊重(リスペクト)し合って仕事をしようという風潮は、今やどの業界にも導入されるべきマインドだ。(勝手なイメージだが)映画の製作現場は監督の激しい怒鳴り声が飛び、大物役者の傲慢な態度が目立ち、若手スタッフが大勢の前で叱責される様子が思い浮かんでしまう。その結果、若い才能が芽を出す前に業界から去ってしまうことは想像に難くない。「まあ、そういう世界だから・・・」ではもう生き残れない、日本映画にしか撮れない作品を残し続けるための取り組みに、この過激な作品が力を入れて取り組んだという事実は意義深い。

 

「誰かがおらんようになったら誰かが代わりをせにゃいけん。」

 

時代の風潮に迎合して無くなってしまうのはもったいないが、生き残るために現代に順応する努力も不可欠。『孤狼の血』シリーズ、まだまだ続編を期待したい作品だ。「またムショに戻りたいんか?」、「地獄見せちゃるけぇ。」、「仁義もクソもないんかい!」、こんなセリフ、もう他の映画では聞けないもの。

 

映画館で観終わった後、興奮冷めやらぬ中、ふと周りを見渡してみた。おっさんばかりかと思いきや、意外や意外、カップルや老夫婦の多いこと多いこと。どんな内容の映画でも、熱を帯びた作品のニーズは絶えないだろう。

 

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さて、次は何観ようかな。

『孤狼の血』を観て。

孤狼の血』 2018
【監督】白石 和彌

 

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警察じゃけぇ、何をしてもええんじゃ。

 

暴力団対策法成立直前、昭和63年の広島・呉原市(架空の都市)に配属された新人刑事の日岡松坂桃李)は、ベテラン刑事の大上(役所広司)と組むことになる。暴力団の関与が疑われる失踪事件を型破りな捜査方法で追う大上に対し、日岡は狼狽する。捜査が進む中で事件は思わぬ展開を見せる。暴力団同士の抗争に発展することを防ぐためには手段を択ばない大上の姿に、品行方正な正義を信じていた日岡は徐々に影響を受けていく。

 

「辛抱出来ん性分じゃけぇワシら極道になったんじゃ。」

 

危ない橋を渡る男たちの汗とタバコと血なまぐさい香りがスクリーン越しにムンムンと届いてきそうな一作。原作は柚月裕子さんの大ヒット警察小説。監督は生々しい人間模様を生々しく描くことに長けた、『凶悪』(2013年)や『日本で一番悪い奴ら』(2016年)などの代表作で知られる白石和彌監督。最強の原作と最強の監督のタッグを筆頭に、余人をもって代えがたいキャストが集結したこの映画は、間違いなく日本映画界に勢いを与えてくれる一つの着火剤的役割を担ってくれたと信じて疑わない。

 

「ワシはもう綱の上に乗ってしもうとるんじゃ。ほんなら落ちんように、落ちて死なんように、前に進むしかないやないの。

 

本作を観るうえで、過激な描写には覚悟が必要だ。作品自体もR15+の年齢制限に指定されており、決して万人に勧められる映画でないことは確か。間違いなく、未来永劫地上波(テレビ)では流せないであろう。でも、本作を観て率直に感じた感想は「日本はこういう映画を作り続けてほしい」だった。何せ、演じている役者さんたちが活き活きしているのだ。あんなに優しそうな役所広司さんが、あんなに爽やかな江口洋介さんが、竹ノ内豊さんが、中村倫也さんが、みんな活き活きと暴力刑事やヤクザを演じている。それに加えて、曲者役がよく似合う(誉めています)滝藤賢一さんや中村獅童さん、美しくて気丈なクラブのママ役の真木よう子さん、そして本物の親分にしか見えない石橋蓮司さんと伊吹五郎さん。みんな活気に満ちた演技を披露している。また、彼らの魅力をより引き立てているのが、彼らの話す呉弁。ドスの効いた迫力を纏うこの言葉、観終わった後についついうつってしまうのでご注意を。

 

コンプライアンスという言葉が声高に叫ばれるようになり、映画だけでなく、テレビやドラマにおいても作りたいものが中々作れない風潮が出てきている中、映画はこうあるべきであると思う。「非日常」を提供する使命を、日本映画は是非担ってほしい。我々が普段接しない非日常の中にエネルギーが潜んでいるからだ。ボクシングやプロレスの試合に人々が熱狂するように、人はどこか暴力を本能的に求めてしまうところがあるのかもしれない。いや、正確には暴力に惹かれているのではなく、それが生み出す熱量やパワーに惹かれるのだ。そういう意味で、本作に登場する警察やヤクザの生き様とそこから発せられる熱量は生半可ではない。決して暴力を肯定するわけではないが、本作の不都合なものでも隠さない潔さと共に、そのパワーを観て感じてほしい。

 

「どっちかが壊れるまで、戦争しちゃろうじゃないの。」

 

物語の観点から本作の魅力を述べるなら、やはり「継承」というテーマ。大上から日岡へと引き継がれる孤狼の意志、その引き継がれる過程の描き方がまた良い。「お前に託した」なんていうセリフは出てこない、いやもはや大上は日岡に託したとすら思っていない。日岡は言うなれば、勝手に受け継ぐのである。この過程が、作中に登場するZIPPOというアイテムで見事に表現されている。「手渡される」のではなく「拾う」、このカッコ良さに「継承って、こうあるべきなのかも」と唸ってしまう。

 

じゃあ聞くがのぉ、正義とは何じゃ?

 

本作の続編『孤狼の血 LEVEL2』が現在映画館で公開中。原作小説から離れた完全オリジナルストーリーで本作の3年後が描かれるとのこと。大上(役所広司)の意志を受け継いだ日岡松坂桃李)は一体どのような狼になっているのか。

ぶち気になるけぇ、映画館に観に行っちゃろうじゃなぁの。(←見事にうつった)

 

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さて、次は何観ようかな。