映画を観て、想うこと。

『火垂るの墓』を観て。

火垂るの墓』 1988
【監督】高畑 勲

 

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「昭和20年9月21日夜、ぼくは死んだ。」

 

昭和20年9月21日、14歳の清太は神戸駅構内で衰弱のためこの世を去る。遺体を片付けていた駅員は清太の所持品の中にドロップの缶を見つける。気にも留めない駅員はその缶を駅舎の外に放り捨てる。地面に落ちた衝撃で蓋が開いた缶からは清太の妹・節子の遺骨の欠片が飛び出す。太平洋戦争下の神戸、空襲による戦火が神戸の街にも襲い掛かる中、幼い兄妹二人で生き抜こうとした清太と節子の壮絶な3か月間が描かれる。

 

「非常時いうてもあるとこにはあるもんや。軍人さんばっかり贅沢して。」

 

こんなご時世だからこそ、逆に普段できないことをしようと考え、今年ある目標を立てていた。それは、過去のトラウマと向き合う時間を作ること。本作を観るのは人生で2回目、最後に観たのは小学校低学年の夏休みだった。あの日のことは今でも鮮明に覚えている。田舎のおばあちゃんの家で、たまたまつけたテレビ(〇曜ロードショー)で放送されていた本作を家族で観賞し、あまりの切なさと無常さに心を砕かれヘトヘトになるまで泣きじゃくった。それ以来この作品は、まるで白いTシャツに飛び散ったカレーうどんの汁のように、こびり付いて取れないトラウマになっていた。そんな封印を、この機会に解いてみることにしたのだ。

 

「あれ特攻やで。」
「ふーん、ホタルみたいやね。」

 

初めて観た子供の頃は「兄妹の目線」に立って観ていたが、大人になって観た本作の印象は少し変わった。率直に抱いた感想は「清太と節子はひょっとしたら死なずに済んだんじゃないか?」というものだった。兄妹は孤独だったと誤解していたが、周囲の大人たちは自らも苦境の中にいる割には優しく、兄妹に手を差し伸べてくれていた。その差し伸べられた手を振り払ってしまう兄・清太と、そんな兄についていくしかない幼い妹・節子。海軍大尉の父親(日本という国そのものと言い換えられなくもない)が戦争に負けるはずがないと信じて疑わない清太と、そんな兄を信じて疑ない節子。現代を生きる我々が違和感を覚える清太の行動は我々の常識では測れない、戦争のあった時代の産物なのだろう。

 

「うち何もいらん。家におって兄ちゃん。行かんといて。」

 

(原作者の野坂昭如さんはもちろんのこと)本作の監督である高畑勲監督も、戦争を経験されており、ご自身の空襲体験をもとに作品を作られている。淡々と描かれる描写、あの当時起きていたことをありのままに描いた本作、決して誰もが観たいと思う内容ではないものの、あえて「きっと皆はこういうものが観たいのだろう」という観客の期待に迎合しない姿勢がこの映画から伝わってくる。映画はあくまで娯楽だと思う。これまで本作はこの考えの前に立ちはだかっていたが、高畑監督があるインタビューで語られていた以下の言葉が、この心のわだかまりに一つの答えを示してくれた。

 

「悲しくて泣くことは、最大の娯楽です。」

 

反論を覚悟で言うが、全国の親御さん、是非この作品は子供たちに一度は観せてあげてください。劇薬であることは間違いない、でも子供たちの心にこそ響く力がある、必要な教材だ。世界中の人がこのトラウマを共有できた時、過ちは繰り返されないと強く想う。

 

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さて、次は何観ようかな。