映画を観て、想うこと。

『硫黄島からの手紙』を観て。

硫黄島からの手紙』 2006
【原題】Letters from Iwo Jima
【監督】クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)

 

 

我々の子供らが、日本で一日でも長く安泰に暮らせるなら、我々がこの島を守る一日には意味があるんです!」

 

太平洋戦争で最も激しい戦いと評される「硫黄島の戦い」を、巨匠クリント・イーストウッドが日米双方の視点から描いた「硫黄島2部作」。本作はその2作目、日本兵の視点から「硫黄島の戦い」が語られる。

現代(2006年)の日本、戦跡調査隊は硫黄島(東京都小笠原諸島)の地下壕を調査中、地中に埋められた数百通もの手紙を発見する。それは太平洋戦争下、アメリカ軍の侵攻から日本を守る最後の砦となった硫黄島で戦い続けた日本兵たちが家族に綴り、届くことのなかった手紙たちだった。彼らはどのように戦い、何を想い、どのように敗れたのか。この物語は、その圧倒的な兵力差から5日で終わると予想された戦いを、必死の抵抗により36日間守り抜いた日本兵たちの物語である。

 

日本が戦(いくさ)に敗れたりと言えども、いつの日か国民が諸君らの勲功を称え、諸君らの霊に涙し黙祷をげる日が必ずや来るであろう。安(やす)んじて国に殉ずるべし。」

 

当時を生きた人々の想いというのは残りにくく、簡単に忘れ去られてしまうものである。特に、正直な気持ちをさらけ出すことが憚(はばか)られた時代のソレは、当事者たちがどんどん減っていく状況において、手紙という方法がひょっとしたら唯一の残す方法なのかもしれない。偽りのない、ありのままの想いがそこに残されている、貴重な資料である。そこから汲み取れるのは、現代を生きる我々と全く違う価値観であったり、また逆に、我々と寸分も変わらない想いだったりする。届くことはないと知りながらも、極限の精神状態の中で、よくぞ書き留めてくれていたと感謝するべきだろう。

 

「余は常に諸氏の先頭にあり。」

 

アメリカ人の監督により制作されたアメリカ映画ではあるものの、本作で描かれている「日本」の姿には一切の偏りは無く、極めて理性的に作られた作品であると感じる。それはイーストウッド監督の手腕と、主要キャストを日本の名優たちで固め、全編通して日本語で物語が語られているからであろう。これは一見当然のことのように思えるが、実はものすごいことだと思う。かつて戦争で敵対した国の兵士たちを、これほど中立に描くことができるものだろうか。

 

しかし、どんな偉業も内容が伴わなければ意味がない。本作はそこのところも抜かりない。どの俳優の演技も心に焼きつく熱さがあるが、物語をけん引する2人、渡辺謙さんと二宮和也さんについて触れたい。

日本が誇るハリウッド俳優、渡辺謙さんが演じる栗林忠道陸軍中将は知将として知られ、アメリカ軍に「最も手ごわい敵の一人だった」と言わしめたほどの人物だ。在米日本大使館駐在武官だった経験もあり、当時としては珍しくアメリカに精通していた軍人だった。そんな彼も、良き夫・良き父親であり、コスモポリタン(国際人)としての合理的でしなやかな一面がある一方、大日本帝国陸軍の軍人としてその真逆(非合理的)な一面との間で葛藤する。厳しい戦況下、最前線で指揮を執っていた陸軍将校の知性と気迫を見事に体現している演技には息を呑む凄味がある。

一方、二宮和也さんが演じられている西郷という兵士は、本作においてただ一人、どこか浮いたような異質な存在感を放っている。それは、他の主要登場人物のほとんどが生粋の軍人であるのに引き換え、彼は召集令状で戦地に呼ばれた応召兵だからである。軍人とは違う視点で戦争を見ている彼の視点は、つまりは我々が持つ視点に近い。本作を観る我々は彼の眼を通して、戦場の過酷さや、軍隊の異常さを感じていることに気が付く。死をも恐れぬ軍人たちの中で、生きたいと葛藤する一兵卒の苦悩を見事に表現している。

 

「不思議なもんだな、家族のために死ぬまでここで戦い抜くと誓ったのに、家族がいるから死ぬことを躊躇う自分がいる。」

 

本作には戦時中の日本の「狂気」がしっかりと描かれている。「おめでとうございます!」や「万歳!」などの言葉が、戦争映画(戦時中)では全く違った風に聞こえるから恐ろしい。特に目を覆いたくなるのは兵士たちの末路。武士道精神を叩きこまれた軍人は、かつて主君と家臣の関係で成立していた理念を、天皇と軍人という関係性で継承しており、戦場で死ぬ覚悟を持ち、潔い死を遂げることが美徳として教育されてきている。

 

しかし、彼らの本音はどうだったのだろうか。手りゅう弾を握りしめるその表情から、どんなことを汲み取れるだろうか。武士道というこれまで日本人の誇りと思い信じてきたものが、とても恐ろしく悲しいものとして映し出されていた。それでも、たとえ敗色濃厚でも、祖国のため、家族のため、戦い続けるしかない兵士たち。彼らが本当は何のために闘っていたのかを、忘れてはならない。

 

「ここはまだ日本か?」
「はい、日本であります。」

 

単純な美談として捉えるべきでは断じてないが、狂気に満ちた軍人たちの散り際に、ある種の美しさを感じてしまう自分がいた。戦争映画は恐ろしい。だからこそ改めて、自らに言い聞かせ、戒めたい。

 

戦争に、栄誉の死はない。

 

 

さて、次は何観ようかな。