映画を観て、想うこと。

『劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』を観て。

劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん, 2019
監督:野口 照夫、山本 清史(エオルゼアパート)

 

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ふぁいなる、ふぁんたずいー・・・

 

ある日突然、単身赴任中だった仕事一筋人間の父・岩本暁(吉田鋼太郎)が仕事を辞めて家に戻ってきた。心配する家族をよそ眼に何も語ろうとしない父。昔から何を考えているかわからなかった父の想いを知るべく、会社員の息子・アキオ(坂口健太郎)は自分の素性を隠し、父をファイナルファンタジー(オンラインゲーム)の世界へ誘うのだった。ゲームの世界の仲間にも協力してもらいながら、親子がクエストをクリアしていくこの作戦は「光のお父さん計画」と名付けられた。

 

「僕もこの人が死んだとき、泣いたりするんだろうか?」

 

ゲーム関連ブログの記事が書籍化され、それを原作として映画化されたこの作品。ゲームを題材にした映画だからこそ描けるシーンが多く、斬新な演出にワクワクしながらのめり込んでしまう。親子関係を修復するためにテレビゲーム(以下、ゲーム)が懸け橋となるユニークな設定を持つ本作は、親子がプレーするゲームの中の世界と、役者が演じる現実の世界とが交互に描かれ、それらが絶妙なバランスで融合し物語が展開されていく。それぞれの世界に、それぞれの魅力がある。

 

ゲームの世界の魅力は何と言っても、見惚れるほど美しいファイナルファンタジーの世界観、そのデザインである。キャラクター、魔物、建物のデザインもだが、空、雲、草木などの細部に至るまで、とにかくすべてが美しい。このゲームを作っている人たちは偉大だと思う。

それに負けじと、現実世界の魅力である俳優陣の演技も光る。お父さん役の吉田鋼太郎さんの朴訥(ぼくとつ)とした演技もいいが、個人的に特に好きなのは、アキオ(坂口健太郎)の妹役を演じた山本舞香さんの演技。「お父さんが~だって」と伝書鳩のように父と兄の間に入る様子や、「ねぇねぇ」と兄であるアキオに話しかける様子は、どこにでもいそうな妹のナチュラルな演技だ(山本さんには実際にお兄さんがいらっしゃるらしい)。

 

「この世界は一人で冒険するには広すぎます。みんなで協力し合って進むんです。」

 

最近めっきりゲームをやらなくなってしまった。昔は友達の家に遊びに行ったり、友達が家に遊びに来たりして一緒にプレーし、時にはお泊り会で夜通しやっていたこともあったのに。PlayStationはいつの間にか4まで発売され、任天堂が開発したNintendo Switchに至っては据置型にも携帯型にもなるという「もう、いつでもどんな時でも遊んじゃってください!」状態である。現代の親は子供にゲームをさせないために頭を抱えていることだろう(それか、一緒に楽しくプレーしているのかも(笑))。

 

ゲームの概念は大きく変わってきている。本作に登場するオンラインゲームも、「えっ!友達が家に来なくても遊べるじゃん!」という、プレーしたことのない私にとっては進歩に取り残された感覚と共に、(正直)すこし悲しいなと思ってしまったところがある。実際に会わなくても一緒にプレーできるという状況は、近くにいる人(会おうと思えば会える人)ほど疎遠に感じ、遠くにいる人(海外に住んでいるなど、簡単には会えない人)ほど近く感じるのかもしれない。

 

一方、オンラインゲームにはオンラインゲームの良さがあることもわかった。昔のゲームは、プレーする自分はあくまでそのゲームの中のキャラクターになりきってプレーしていたが、オンラインゲームは違う。ゲームの中には現実とは違うもう一つ世界が広がっていて、プレーする自分はその世界に実際に生きている。2つの世界を並行して生きられるから、片方の世界に救いを求めることもできるし、本来の自分になれたり、本音が言えたりするのだろう。(知り合いに聞く限り)現実世界で溜まった鬱憤をゲームの世界で晴らしている人は多い(逆が起きないことを祈るばかりだ)。

 

「不思議ですよね。この世界だと、みんな本音で話せるんですよね。」

 

またゲームやりたいなと思ったが、ひとつ問題が。最近のゲーム、すぐ酔っちゃうんだよな~(三半規管が弱い筆者なのでした)(汗)。

 

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さて、次は何観ようかな。