映画を観て、想うこと。

『アイアン・ジャイアント』を観て。

アイアン・ジャイアント The Iron Giant, 1999
監督ブラッド・バード(Brad Bird)

 

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“You are who you choose to be.”
(「自分のなりたい自分になればいい。」)

 

1957年、アメリカの片田舎、メイン州の港町に住む少年ホーガース(声:イーライ・マリエンタール)は森の中で巨大なロボットと出会う。自分がどこから来たのか、何者かもわかっていない、とても人懐っこいこの鋼鉄の巨人”アイアン・ジャイアント”(声:ヴィン・ディーゼル)と、友達のいない退屈な日々を過ごしていたホーガース、二人の間に友情が芽生えるのに時間はかからなかった。

一方、巨大ロボットの目撃情報を聞きつけ、政府はエージェントを派遣する。必死にかくまうホーガースの努力もむなしく、ついに見つかり軍隊に追われることになるジャイアントは、実は自己防衛機能を備えた恐ろしい破壊兵器という一面を持っていた。

 

 “You’re made of metal, but you have feelings. And you think about things. And that means you have a soul. And souls don’t die.”
(「君は金属製だ。でも感情がある。それに考えるから魂があるってことだ。魂は死なない。」)

 

1999年に制作されたこのアニメーション映画は、20年経った今でもなお輝きが薄れない、不朽の名作である。カメラワーク、キャラクター、風景の描き方、実写映画では出せない味を堪能できる魅力満載の一作だ。少年とロボットの友情を主軸としたシンプルなストーリーに、様々なテーマが何層にも重なって、観る人によって色んな感想を持つと思う。

 

本作の監督であるブラッド・バードは本作のコンセプトについて、”What if gun had a soul?”(「もしも銃に魂があったら?」)と説明している。銃とは正にジャイアントのことだ。大きくて強い、純粋で優しいジャイアント、彼を特別なキャラクターにしているのは、彼が単なるお茶目で愛らしいだけのロボットではなく、破壊兵器という一面を持っているからであろう。生き物の死に対して悲しみを感じる彼が、自らの中にも命を奪う能力を秘めており、その事実に彼自身が葛藤するからこそ、この物語は複雑さと奥深さを湛えているのだと思う。とってもざっくりした例えをするなら、彼はハサミやライターと同じである。使い方によっては凶器になりかねないモノたちは一方で生活を支える便利なモノという一面もある。そのモノの存在自体には何の罪もないのだ。要は、そのモノにどんな魂が注がれるかなのである。

 

本作のラストでジャイアントは自らの意思である決断をする。自分はどうありたいのか、どう行動するべきなのか、自分が持つ力を誰のため/何のために使うのか、あるべき自分(=殺戮マシーン)ではなく、なりたい自分(=ヒーロー)になった彼の雄姿は正に、清らかな魂を持ったスーパーマンである。

 

“It’s bad to kill, but it’s not bad to die.”
(「殺すのは悪いけど、死ぬのは悪くない。」)

 

身近に子供がいる人はぜひ見せてあげて欲しい。そしてできれば、一緒に観てあげて欲しい。みんなに愛されるヒーローの姿を一緒に共有してほしい一作です。

 

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さて、次は何観ようかな。