映画を観て、想うこと。

『湯を沸かすほどの熱い愛』を観て。

湯を沸かすほどの熱い愛 2016
監督:中野 量太

 

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「湯気のごとく、店主が蒸発しました。当分の間、お湯は沸きません。 幸の湯」

 

幸野家が営む銭湯「幸の湯」は休業していた。1年前にパチンコに行ったきり帰ってこない父親・一浩(オダギリジョー)のせいだ。残された肝っ玉母ちゃんの双葉(宮沢りえ)はパートをしながら、娘の安澄(杉咲花)と二人で暮らしていた。そんなある日、めまいを起こして倒れた双葉は病院で余命2ヶ月であることを告げられる。絶望したのも束の間、彼女は残して逝く家族のためにやっておくべきことを決め、実行に移していく。この双葉の行動が、家族が抱えていた秘密を解き明かし、問題を解決し、家族の絆を深めていく。

 

「私には、どうしてもやらなきゃいけないことが、まだある。」

 

本作が描くのは人の「心の強さ」と、その源となっている「家族愛」である。死期が迫った母親と、一家の大黒柱の死期を知った家族、どこにでもいそうな一家に起こる最大の試練にそれぞれはどんな行動を取り、決断をするのか。「こうしちゃいられない」とばかりに、余命2ヶ月とは思えないバイタリティで自分の使命を全うしていく双葉を演じた宮沢りえさんの演技もさることながら、本作で注目したいのは娘たちの演技である。強く生きねばと歯を食いしばり、涙をこらえ、懸命に自らの境遇、母親の死と向き合う杉咲花さんと伊藤蒼さんの演技には涙を誘われ、胸が熱くなる。

また、約束を守ることや、「我家のルール」など、本作は家族の大切な形も描いている。決して悲壮感だけが伝わってこないユーモアや優しさも盛り込まれた作品になっていることも本作の魅力だと思う。”お母ちゃん”という響きがとても温かく耳に残った。

 

「目的とか目標って、決めたらそこに向かわなきゃいけなくなるでしょ?」

 

作中、娘たちとドライブ旅行に出かけた双葉が道中で拾うヒッチハイカー(松坂桃李)が呟くこのセリフ。これもまた、本作が伝えたいメッセージなのだと思う。人は終わりが見えているから頑張れるものである。受験勉強も、就職活動も、目的や目標、期限が見えているからそれに向かって努力できる。言い換えるならば、目的や目標を決めないのは、努力を先延ばしにして逃げているのと同じことかもしれない。先延ばしにしてしまっていること、本当はやらなければいけないのに逃げてしまっていること、きっと誰にでもあると思う。それは、きっと終わりを突きつけられたら変わると思うが、逆に終わりを示されなければ頑張れないのだろうか。

「死」は終わりの究極系だ。決して逃げられない、誰にでも必ず訪れる終着地点だ。難しいのは、いつ訪れるかわからないということ。自分の死も、他人の死も。「余命を宣告されたら、誰に何をしてあげたいだろう?それは余命を宣告されないとできないことだろうか?」。何事においても、「終わり」を意識して生きねばならない、と感じた。

 

「あの人のためなら何でもしてあげたいって思うっていうか。たぶんそれって、その何倍もしてもらってるって思えてるからなんじゃないかなって。」

 

本作は予想に反し、衝撃的なラストで終わる。タイトルの意味を強烈な印象を残して説明するラスト、まさにお母ちゃんの熱い愛が家族を温める湯を沸かします。皆さんはこの熱をどう受け止めるでしょう。のぼせないようにお気を付けください。

 

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さて、次は何観ようかな。