映画を観て、想うこと。

『フリー・ウィリー』を観て。

フリー・ウィリー Free Willy, 1993
監督:   サイモン・ウィンサー(Simon Wincer)

 

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“Willy’s a case. A very special case.”
「ウィリーは特殊なの。とっても変わってるの。」

“So? Who isn’t?”
「だから?普通って何?」

 

母親に捨てられ、孤児院を脱走してはストリートチルドレンとして路上で生活していた少年ジェシー(ジェイソン・ジェームズ・リクター)と、人間に捕獲され、家族の群れから引き離され水族館の狭い水槽に入れられていたシャチのウィリーが織りなす愛と友情の物語。似た境遇にあった二人は、人間と動物という垣根を越えて、お互いが心の隙間を埋め合う関係になる。そして、水族館経営者の陰謀を機に、周りの大人たちの協力を得ながら、ジェシーはウィリーを家族の待つ海に帰すのだった。

 

“Let’s free Willy!”
「ウィリーを自由にしてあげよう!」

 

小学生のときに初めて出会い、それ以来、何回観たか数えきれないほど観返した本作。思い入れの深い、大好きな作品の一つだ。ちょうど観ていた時に主人公のジェシーと同じ年頃だったからもしれない。少し大きめのTシャツ、リュックを肩掛けにする持ち方、ハンドルの上がった自転車、この映画に影響を受け、色んなことを真似していた。特に、ジェシーが作中にウィリーを呼ぶときに吹くハーモニカが欲しくて、両親にせがんで買ってもらった懐かしい記憶が甦る(結局吹けるようにはならなかったが、その時買ってもらったハーモニカはいまでも大切に持っている)。ストーリーは至ってシンプルで、色んな意味で期待を裏切らない本作は、自分にとっては観ると初心に帰れる作品だ。

 

I believe in you. You can do it. You can be free.”
「君を信じてるよ。君ならできる。自由になれるよ。」

 

数年ぶりに観て、何でこの映画が好きなのかを考えてみた。子供の頃の自分はこの映画の何に感化されたのか。子供心に「とにかく好き」と決めつけていた裏には、大人になっても薄れない魅力がちゃんとあった。本作は「壮大さと美しさに心がワクワクする」ポイントが3つあると思う。

 

一つ目は、少年(ジェシー)とシャチ(ウィリー)の間に築かれた信頼関係だ。物語上だけでなく、実際に役を演じている彼らの様子からもお互いの心が通じ合っていることがわかる。作中のシーンで、ジェシーがウィリーの口に手を入れて舌を撫でるシーンがある。一つ間違えれば大惨事になりかねないシーンだが、彼らの表情からは少しも不安や迷いは感じられない(シャチの表情は正直よくわからないが、そう見える)。言葉が無くても信頼できる、むしろ、本当の信頼関係を築くのに言葉は余計なのかもしれないとすら感じさせられてしまう。

 

二つ目は、美しい自然描写だ。海やシャチの群れを撮影したシーンは、ドキュメンタリー映画でしか見ることが出来ないような映像である。海面がキラキラと光り、太陽が水平線に沈む中、シャチの群れが仲良く泳ぎ、その背びれが海面から現れては消えるシーンは印象的だ。自然の壮大さになぜだかジーンと胸が熱くなる。

 

三つ目は、本作の主題歌である。エンドロールで流れるマイケル・ジャクソンの”Will You Be There”という曲が醸し出す荘厳な雰囲気が、先述の二つの要素と相まって、観終わった後に何とも言えない高揚感を残してくれる。大好きな一曲だ。マイケルの美声と聖歌隊の合唱が印象的なこの曲が、本作のイメージとピッタリと合う。また、この曲の最後にマイケル自身が読む詩もまた魅力。曲の締めくくりであり、物語の締めくくりでもあるその詩はこんなフレーズで終わる。

 

“I’ll never let you part. For you’re always in my heart.”
「私は決してあなたから離れない。あなたはいつも私の心の中に。」

 

目で、耳で、心で、「美しい」を目いっぱい感じられる、出会えたことを幸せに感じられる一作。映画に育ててもらったと感じられる一作。まだ観たことがないという方、是非この「美しい」映画に出会ってほしい。

 

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さて、次は何観ようかな。