映画を観て、想うこと。

『ビューティフル・ボーイ』を観て。

ビューティフル・ボーイ Beautiful Boy, 2018
監督:フェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲン(Felix van Groeningen)

 

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“What I feel for you is everything. I love you more than everything.”
(「私にとってお前はすべてだ。何よりもお前を愛している。」)

“Everything?”
(「何よりも?」)

“Yeah, everything…everything…”
(「ああ、何よりも・・・何よりも・・・」)

 

音楽ライター/ジャーナリストのデヴィッド・シェフ(スティーヴ・カレル)は治療院を訪れていた。彼が抱える深刻な悩みは、1年前から愛息子のニック・シェフ(ティモシー・シャラメ)を襲っている薬物依存である。優等生でスポーツ万能、何不自由なく育ててきたはずの息子がなぜドラッグに手を染めてしまったのか。彼はどうなってしまったのか。息子のことを理解できなくなってしまいつつも懸命に支える父と、両親を裏切りたくないのにドラッグをやめられない息子。幾たびの再発と親子は闘い続ける。

 

“I still have family. My mom’s been amazing, My dad’s been amazing, too. I want them to be proud of me.”
(「僕にはまだ家族がいる。母さんは素晴らしい。父さんもそうだ。両親に僕を誇らしく思ってほしい。」)

 

本作は父・デヴィッドが書いた『Beautiful Boy: A Father’s Journey Through His Son’s Addiction』と息子・ニックが書いた『Tweak』、2冊の回顧録を元に制作されている。事実をありのまま映画化したような一見単調なストーリーは、それでいてとてもリアルである。13回の薬物依存症再発、7つの治療施設を出入りした親子の8年間の闘病生活、どれほど壮絶な時間だったことだろう。克服したと思いきや、ふとしたきっかけでまたドラッグをやってしまう。何度も信じては裏切られる父親、何度も期待させては周囲を失望させてしまう息子。この複雑な親子関係は、彼らを演じた二人の役者なくしては成立しなかっただろう。父デヴィッドを演じたコメディ俳優の印象が強いスティーヴ・カレルの演技もさることながら、息子ニックを演じたティモシー・シャラメの繊細な演技は見応えがある。ドラッグをやったあとの気持ちよさそうで虚ろな目、本当にやってないか心配になったほどだ。その姿には胸を締め付けられる感覚を覚えるに違いない。

 

I lost my Frances this week. She died of an overdose on Sunday. So I guess I’m in mourning, but I realized something else. I’ve actually been in mourning for years. Because even when she was alive, she wasn’t there. When you mourn the living, that’s a hard way to live. And so, in a way, it’s better, I guess.”
(「フランシスが今週亡くなったの。日曜日に過剰摂取で死んだわ。だから今は喪に服しているんだけど、あることに気づいたの。私はもう何年も喪に服し続けていたんだわ。だって彼女が生きていた時でさえ、彼女はそこにいなかった。彼女が生きているのに喪に服すのはつらい生き方だったわ、だから、ある意味で、今の方がましなのかしらね、どうなのかな。」)

 

作中、ニックの両親は薬物中毒者を家族に持つ人たちが集まる集会に訪れる。このセリフはその集会に来ていた娘を亡くしたばかりのある母親が語るスピーチだ。このシーンが忘れられない。自分を想ってくれる人をこんな気持ちにさせてはいけない、そう思った。改めて考えてみれば、薬物は恐ろしい。自らの体を蝕むものを自ら求めてしまう。晴々とした気持ちの後に来る副作用により、心の中は他人を責める気持ちと自分を責める気持ちの繰り返し。薬物をコントロールできていると思い込むが、実は薬物に支配されていることに気づけない。本作は薬物中毒者が「自分だったら」と「身内にいたら」という二つの観点から観ることで、「絶対に手を出してはいけない」というメッセージを強く伝えてくれる。

 

印象的だったのは、太陽の光がやたら眩しく感じるシーンと、誰かが誰かを抱きしめているシーンが多かったような気がする。人の心にできた隙間を埋めてくれるのはドラッグではなく、陽の光や人の温もりなのかもしれない。

学んだこともある。この病気に「完治」という概念はない。「何年断っている」というだけ。これだけ医学が発達してもなお、薬物中毒は手強い病気だ。治せるのは治療や薬といった医学の力ではなく、「抱きしめる」という単純だが尊い行為なのかもしれない。考えてみれば、テレビのニュースなんかで時々見る薬物不法所持者は、みんな抱きしめてもらってなさそうな人が多い気がするなぁ(完全に偏見だが)。

 

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さて、次は何観ようかな。