映画を観て、想うこと。

『ファンシイダンス』を観て。

ファンシイダンス, 1989
監督:   周防 正行

 

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「君の行く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか そんなにしてまで」

 

塩野陽平(本木雅弘)はロックバンドのボーカル。実家のお寺を継ぐために、なぜか弟の郁生(大沢健)と一緒に禅寺に修行に入る。期間は1年、俗世に残してきた恋人の赤石真朱(まそほ)(鈴木保奈美)に心を惑わされながら、古参の坊主たちからの厳しいシゴキに耐えつつ、陽平は必死に煩悩と戦う日々を送るのだった。

 

「立てぬ的 引かぬ弓にて 放つ矢は 当たらざれども 外れざりけり」

 

お坊さんの日常をコミカルに描いた陽気な一作。友人から「肩の力を抜いて、ゆっくり観れる映画です」と勧められたが、まさに友人の言う通りだった。主演はこれが初主演作であったシブがき隊のモックンこと、本木雅弘さん。考えてみれば、公開当時は人気絶頂だったジャーニーズのアイドルが頭を剃って挑んだ意欲作ということになる。今や名俳優となった本木さんの初々しい演技が映画の中に保存されている、そんな風に感じる一作だ。

 

「だって、お坊さんってカッコいいもん。」

 

普段は垣間見えない修行僧の日常は、いくつもの作法で成り立っている。何百年も前に定められ現代に伝えられてきたお寺の作法には、掃除の仕方、食事の仕方、眠り方にまで細かい決まりがある。決められたことを、決まった時間に、決められた通りに行う、数多の作法を守り生活するお坊さんの様子は、極限まで無駄が省かれた美しさがある。これは「ルーティン」という言葉で現代の日常を生きる我々にも馴染みがある。今やスポーツ選手や経営者までもがパフォーマンス向上のために取り入れているこの習慣化の考えは、仏教僧がその先駆者的存在かもしれない。

 

「叱る時は本気で叱れ。」

「私には打てません。俺には本気で人を叱る自信なんてありません。」

「お前に自信があろうがなかろうがそんなことはどうだっていいんだ。打たれる者の身になってやれ。中途半端な警策の入れ方では打たれる者の迷いは増すばかりだ。人にいい恰好をして自分を甘やかすのもいい加減にしろ。人を打つ痛さを自分のものにするんだ。」

 

作中に登場するこの会話、主人公の陽平に人を本気で叱ることを諭すのは、竹中直人さん演じる古参坊主の一人である光輝(こうき)である。警策(きょうさく)とは座禅中に惰気や眠気で集中力を欠いた人にお坊さんがバシッと肩を叩く時に使われる板のこと、いわゆる罰則である。陽平は修行をするにつれ首座(しゅそ:修行僧のリーダー)を任されることになる。叱られていた立場から叱る立場になれど、彼の修行の日々もまだまだ続く。立場が変われば、理想や目標の見え方も変わる。人は生涯、修行の身なのだ。

 

 「今は耐えるときです。楽しみは後にとっておけばおくほど大きくなるもんです。」

 

「怒る」と「叱る」は違う。子供のしつけ然り、後輩や部下の指導然り、自分の感情をあらわにして勝手に「怒る」のではなく、相手を思って伝わるように「叱る」ことができるようになる。これもまた人としての成長の一歩なのだろう。ちなみに、昔知人に人の叱り方のコツを教わったことがある。「シンプル」、「強め」に「短く」らしい。

  

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さて、次は何観ようかな。